日々報告される新知見
近年はチーム医療の進展による役割分担が進み、昔と比べれば医師の業務負担はずいぶんと軽減されました。それでも医療の高度化や患者ニーズの多様化により、依然として業務に忙殺されている医師が多く存在します。
さらに、現在の肺がん診療を取り巻く状況はまさしく日進月歩で、日々多くの新たな知見が報告されています。個別化医療領域においても、次々と新たなドライバー遺伝子変異がみつかり、それに対応する薬剤やコンパニオン診断、遺伝子パネル検査などの新技術の開発が進んでいます。その一方で、検査の運用方法や患者申出療養制度など、新技術に伴って覚えなければならない関連知識の量も増大しています。
そのため、時間がないなかでいかに知識をアップデートしていけばよいかという点は、肺がん診療に携わる医師にとって1つの大きな課題になっていると感じます。
情報の海に困惑される患者さん
一方、患者さん側の視点から考えると、例えば遺伝子パネル検査といったときに、コンパニオン診断のための検査と、標準治療終了後に行うがんゲノムプロファイリング検査を混同して、混乱されている方が少なからずいらっしゃいます。このように、個別化医療時代に入り非常に大量の情報がアップデートされ続けるなかで、患者さんが情報の海に埋もれてしまっていないかという点は、われわれ医療者がしっかりと考えていかなければならない課題だと思います。
道内における呼吸器診療の地域格差
北海道に特有の課題として、肺がん医療の地域格差の問題があります。非常に広大な地域であることに加えて、全国的にみて呼吸器科医の数が少ない地域でもあるため1、都市部周辺以外には呼吸器診療へのアクセスがあまり良くない地域が存在します。実際、2009年の日本呼吸器学会による調査報告によると、北海道は人口20万人以上の大・中規模都市圏にある大・中規模病院における呼吸器病床10床あたりの呼吸器科医数、呼吸器専門医数は全国的にも最多クラスである一方、北海道の大半を占める人口20万人未満の地方都市・地方圏における大・中規模病院の呼吸器病床10床あたりの呼吸器科医数、呼吸器専門医数は全国で最小クラスでした2。
このようにそもそも呼吸器科医が少ないなかで、肺がんに対して高度な専門性をもってがん遺伝子パネル検査の適応を考えたり、最新の薬物療法を施行できる病院の数はさらに限られて、やはり各がん診療連携拠点病院が中心になると考えられます。ただし、そのような状況のなかでも北海道の呼吸器科医の先生方は、それぞれのお立場で日々ご尽力されています。
COVID-19の影響
また、COVID-19のパンデミック以降は患者さんの受診控えが問題となっています。肺癌学会の調査3,4によると、2019年度と比べて2020年度の肺がん治療の新規治療者数は6.6%減少し、手術が行われた患者数は6%、薬物療法が行われた患者数は8.6%それぞれ減少しました。COVID-19患者数が減少傾向にある今こそ(※2021年10月現在)、われわれ医療者が一般の方々に対してがん検診の受診を勧奨し、疑い例に関しては早期に病院を受診していただくように広くアナウンスしていかなければならないと感じます。
課題解決における学会の役割
がん医療は全国的にみれば、2007年4月に施行されたがん対策基本法と、それに基づくがん対策推進基本計画、がん診療連携拠点病院の整備や、がん対策加速化プラン制度などにより均てん化が進んでいますが、これまでに私が述べてきた課題をはじめ、まだ十分に対策が行き届いていない部分も多いのが実情ではないかと思います。
しかし、この不十分さの解消を医師個人の努力に委ねてしまうことは難しいと思われます。特にCOVID-19の影響によって医師が多忙になるなかでは、ますますそれが難しくなってきますので、がん関連学会が役割を担って医師をはじめとする医療従事者や患者さんの支援と教育を行っていくことが、これまで以上に重要になってくると考えています。
例えば、肺癌学会では「肺癌診療ガイドライン」を作成していますが、昨今の急速な進歩に対応するべく毎年改訂5を行うことで、肺がん医療の均てん化や医療者の知識のアップデートを支援しています。
また、現在私が委員長を務める肺がん医療向上委員会には、医師、患者さん、看護師、薬剤師、製薬企業、学生団体、報道機関といったあらゆる関係者が参加していますが、知識のアップデートに役立てていただくために、定期的にセミナーを開催しています。同様に教育研修委員会でも、看護師や薬剤師などのメディカルスタッフ向けにさまざまなセミナーを開催していますし、広報委員会では患者さん向けに市民公開講座を開催しています。
メディカルスタッフ教育の重要性
メディカルスタッフ向けのセミナーを開催していると、遺伝カウンセラーのように専門性が高い方は例外として、個別化医療や遺伝子パネル検査についての基本的知識が不足している方がまだまだ多いと感じます。今の時代はチーム医療を進展していくことが求められており、それは個別化医療についても同様ですから、学会としては医師と患者さんだけではなく、看護師や薬剤師などのメディカルスタッフ教育にも積極的に取り組んでいく必要があると考えています。
本来は、実際にチームを組む医師とスタッフが直接顔を突き合わせて、院内の勉強会や研究会活動を行っていくなかでメディカルスタッフ教育を進めていくのが理想的な形だと思いますが、これについてもCOVID-19の影響を受けて実施しにくくなってしまっていることは非常に悩ましく感じます。
患者意識向上に向けた取り組み
今は個別化医療というと、遺伝子パネル検査にフォーカスがあたることが多いので、もしかすると患者さんのなかには自分はその検査を受けていないので個別化医療を受けられていないと捉えてしまう方もいらっしゃるかもしれません。一方で、遺伝子パネル検査だけではなく、ドライバー遺伝子変異のコンパニオン診断とそれにもとづく分子標的治療も個別化医療の1つですし、ドライバー遺伝子変異がない患者さんに対して、組織型やPD-L1発現量、PS、年齢などを考慮して、患者さんにより適切な治療を提供することも、広義では個別化医療だといえます。
ですから、遺伝子検査だけではなく患者さんが普段病院で受けられている治療も個別化医療の1つであり、医療者は常に患者さんにとって最適な治療を提供すべく努力しているという点は、もう少ししっかりとお伝えしていけるとよいのかもしれません。
このような患者さんへの広報・教育の場としては、やはり先程も述べた市民公開講座が1つ有効な手段だと考えられます。肺癌学会主催の市民公開講座ではトピックによっては、患者さんやご家族にもパネリストとして参加していただくことがあります。医療者と一緒に討論する場を設けることで、当事者意識をもってご参加いただけているのではないかと感じます。
ただ、市民公開講座もCOVID-19の影響を受け、現在は基本的にWeb開催のみとなってしまっています。情報提供の場が対面からWebに移行している状況ですので、肺癌学会でもホームページ上のQ&A集を充実させたり、対面で開催されたセミナーを録画してアップするなど、Webを使った情報提供をより充実させるべく取り組んでいるところです。
一方、高齢者の方をはじめ、インターネットにアクセスできない方もまだまだ多くいらっしゃいますので、患者さん向けのガイドブックのような紙媒体の作成も並行して進めていくことが大切だと考えています。
ところで、少し話がそれてしまいますが、遺伝子パネル検査、特にがんゲノムプロファイリング検査については、すべての患者さんがそれを望むとは限りませんし、もし希望されたとしても組織検体の残存量や患者さんのPSによっては実施が難しい場合もあることには注意が必要です。やはり最新の医療であっても医療の基本に立ち返って、患者さんとご家族のご希望を治療の早い段階からしっかり確認しながら進め、検査のタイミングを逸しないように気をつけることが大切なのだと思います。
未来への期待
ここまでは主に肺がん医療の課題とその解決に向けた肺癌学会の取り組みについて述べてきましたが、さいごは私が考える肺癌医療の未来について述べていきたいと思います。
未来を考えるうえで、最初に考えなければならないのは患者さんの高齢化の進展です。治療の適応など治療方針の決定に今以上に難しい判断が求められる場面が増えてくることが予想されます。また、今はドライバー遺伝子変異とそれに対応する分子標的治療薬や、免疫チェックポイント阻害薬の併用治療など、新たな治療法が次々と開発されてきていますが、依然として長期的な使用による耐性化も重要な臨床課題として残っています。
ただ、約30年前に私が医師になった頃のがん治療を振り返ってみると、使用できる抗がん薬は殺細胞性抗がん薬くらいで、なかなか治癒が期待できないなか、終末期までがんをどうにかコントロールしていくのが一般的な治療であり、今のように数多くの治療薬を使用でき、早期であれば根治を、進行期であっても長期生存をめざせるような未来は全く想像できませんでした。
ですから、今は難しいように思えても、近い将来、予想もしなかったようなブレイクスルーが起きて、高齢の患者さんや進行期のがんに対しても長期的な安定や治癒が得られるような新たな治療法が開発されるのではないかと期待できますし、このように未来に希望がもてる時代に肺がん診療に携われたことに、大きなやりがいと喜びを感じています。
さいごに 〜若手医師の方々へ〜
新たな治療薬が次々と開発される時代にあっても、患者さんの長期生存をめざすには、まず自らが患者さんにとってどのような検査、治療、緩和ケアが必要なのかを考え、それらをメディカルスタッフとともにチーム医療によって実践していく姿勢が大切です。若手医師の方々にも、その姿勢を大切にしてほしいと思います。
また、日常臨床のなかではさまざまなクリニカルクエスチョンが浮かんでくることと思いますが、それらの疑問を解決するための努力を常に怠らないようにして、できれば臨床研究にも挑戦してほしいですね。その努力は必ずや臨床能力の向上につながっていくはずです。
肺がん医療のより良い未来のために、若手医師の方々の力には大いに期待しています。
インタビュー実施日・場所/2021年10月12日・オンライン取材
- 大泉 聡史(おおいずみ さとし)
独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター
呼吸器内科 副院長 兼 臨床研究部長 -
1992年3月、北海道大学医学部を卒業。’92年4月、北海道大学第1内科に入局。’95年10月、関連病院研修を終了して帰局後に肺癌グループに所属。2002年4月、マイアミ大学 微生物免疫学分野(アメリカ)に留学。’05年10月、帰国後、北海道大学(病院)第1内科に勤務。’06年4月、北海道大学(病院)第1内科助教。’08年4月、北海道大学(病院)第1内科講師。’13年1月、北海道大学大学院 医学研究科呼吸器内科学分野 准教授。’16年4月、北海道がんセンター 内科系診療部長。’20年4月、北海道がんセンター 病棟診療部長。’21年4月、北海道がんセンター 臨床研究部長。’22年4月、北海道がんセンター 副院長。現在に至る。
- 参考文献
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- 須田隆文,他:日本呼吸器学会の会員,専門医の最近の動向に関する検討.日呼吸誌,8:375-384,2019
- 木村 弘,他:わが国における呼吸器診療の現状と問題点.日医雑誌,138:984-988,2009
- 日本肺癌学会:新型コロナ感染症(COVID19)が肺癌診療に及ぼす影響調査結果.令和3年(2021年)4月30日
- 調査の概要:2020年10月22日〜2021年1月20日の期間で日本肺癌学会の評議員が所属する施設およびがん拠点病院に対しアンケート調査を実施し、2019年1月〜2020年10月における各月の治療法ごとの新規治療患者数を調査。調査依頼施設490施設のうち124施設から回答が得られ、このうちデータ不十分な6施設を除外した118施設分について解析を実施。
- 2018年以降毎年改訂を実施。2018年と2020年は冊子版、2019年と2021年はWeb版として作成。