長野県安曇野市にある長野県立こども病院(原田順和病院長:以下、こども病院)は、小児周産期医療の最後の砦としての役割を持ち、新生児集中治療室(NICU)や小児集中治療室(PICU)での治療を必要とする重症の子どもたちが県内および近県から搬送されてくる。
今回は同院神経小児科で多くのてんかん症例の経験を持つ福山哲広副部長を訪ね、長野県のてんかん医療の現状や課題、医療連携への取り組みなどについて詳しくお話をうかがった。
その子の生きている証を知る大人になる
――小児科医の道を選んだきっかけは。
福山 私は昔から自分が楽なほうに流されやすい性格だと分かっていたので「油断するとろくな医者にならないぞ」といつも思っていました。大学卒業前に医師としての進路を決める際に、小児科ならば厳しい状況にある子どもたちを前におそらく怠ける気持ちも起きないだろうと、研修先に大学の小児科医局を選びました。もともと子どもと接するのが好きだったこともあります。小児科に入ってみると、小児科医は真面目で明るい方が多く、それがすごく居心地が良かったのですね。選択は正解だったと思います。
一般病院で小児科医として勤務を何年かする間に小児神経疾患を専門にしたいという方向性が自分の中に生まれてきました。超未熟児や急性脳症などの重症の患者さんの集中治療はすごく充実感が得られます。しかしその後、中枢神経系の後遺症を抱えた子どもたちの人生がずっと続くことを考えると、自分の限界が痛いほど感じられました。
生まれてすぐに大きな障害を背負い込み、亡くなる子も稀ではありません。支えるご家族の方たちも非常に厳しい状況にある場合が多くて、そんな子どもたちと家族の皆さんの力になれる、寄り添っていける医療ができたらと次第に考えるようになりました。だから、もっと力をつけたいと思い、小児神経科医を目指すことにしたのです。
当時は力がなくて自分で診ることができないとあきらめた何人かのお子さんを今、当院で継続して診させてもらっていて、既に10代半ばになった子もいます。私は一人の患者さんをこのように長く診ることができるのは、小児科医冥利に尽きると思っています。長く付き合い、その子の生きている証を知っている大人の一人になれることは光栄なことだからです。
長時間ビデオ脳波モニタリングとの出会い
――てんかん医療に携わるようになったのは。
福山 小児神経科領域を目指そうと思っていた頃に、西新潟中央病院のてんかんセミナーに参加したことがきっかけになりました。このセミナーで、てんかん医療は正確な知識を持って対応すれば、多くの患者さんに恩恵をもたらすことのできる領域だと実感することができました。逆に薬物治療や外科手術などの治療時期・選択肢を誤ると患者さんの人生はまったく違うものになってしまう恐さも学びました。
その後、信州大学大学院を修了後に、静岡てんかん・神経医療センターに国内留学をする機会をいただきました。専門的なてんかん診療を学びながら高橋幸利先生の下でてんかんの特殊病型であるRasmussen脳炎/症候群の研究をしました。この2年間の経験は私にとって大変貴重なものになっています。
図1:長野県立こども病院で長時間ビデオ脳波検査を受けた患者90名の検査目的(2012年10月~2014年9月)
中でも有意義だったのは、長時間ビデオ脳波モニタリング判読を徹底的に学んだことです。それまで、通常脳波の判読経験しかなかった私は脳波に相当な苦手意識を感じていました。しかし、てんかん発作ビデオと脳波の同時記録を見ることで、クリアに発作と脳波との関係を理解することができたのです。それまでの私自身がそうだったように、てんかん医療の現場では実際に患者さんの発作を目にすることなく、想像で治療をしている実態が多いのではないでしょうか。ところが長時間ビデオ脳波モニタリングは、その想像の部分を可視化して、患者さんに現実に何が起こっているのかを鮮やかに見せてくれます。
静岡てんかん・神経医療センターでの研修を終えて、長野県立こども病院に配属となりましたが、当院にも長時間ビデオ脳波計を早速導入しました。子どもの脳波電極装着は難しいため、長時間脳波を始めるに当たり当院の生理検査技師に静岡てんかん・神経医療センターで研修してもらいました。現在、週に1~2回てんかんの長時間ビデオ脳波モニタリングを行い、てんかん発作と非てんかん発作の鑑別、てんかんの発作型診断に大きな成果を挙げています(図1)。
※この記事は株式会社ライフ・サイエンス「MEDICAMENT NEWS」第2201号(2015年7月15日)掲載誌面をもとにQLifePro編集部で一部再構成したものです。