新たなエピゲノム修飾として報告されたヒストンラクチル化、胃がんにおける研究報告は少ない
東京科学大学は12月11日、胃がんにおいて、乳酸を基質とするヒストンH3K18(ヒストンH3の18番目のリジン残基)ラクチル化レベルの亢進が胃がん患者の予後悪化に密接に関連していることを発見したと発表した。この研究は、同大大学院医歯学総合研究科分子腫瘍医学分野の田中真二教授、秋山好光講師、島田周助教、波多野恵助教、月原秀連携研究員、同消化器外科学分野、東京慈恵会医科大学外科学講座、東京大学大学院医学系研究科衛生学教室らの研究グループによるもの。研究成果は、「Oncogene」にオンライン掲載されている。
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乳酸は解糖系の最終代謝産物であり、その代謝異常はがんの増殖や進展に深く関与している。がん細胞特有の解糖系代謝は、古くからWarburg効果として知られている。近年、新たなエピゲノム修飾として乳酸を基質とするヒストンラクチル化が報告された。
ヒストン修飾の一つとして、特定のヒストンH3のリジン残基(K)におけるラクチル化は遺伝子発現を活性化させる作用を持つことや、複数の悪性腫瘍でヒストンラクチル化レベルが高いことが確認された。また、ヒストンラクチル化修飾には、ヒストンアセチル化修飾酵素(EP300やHDAC1など)が密接に関与することも報告されている。
一方で、胃がんにおけるラクチル化に関連する研究報告はこれまで少なく、ヒストンラクチル化修飾の状態やその修飾関連酵素については、ほとんど解明されていなかった。
胃がん組織でヒストンH3K18ラクチル化レベルの有意な上昇を確認、患者予後との関連も判明
臨床胃がん検体を用いてラクチル化状態を評価した結果、胃がん組織においてヒストンH3K18ラクチル化レベルが有意に上昇していることが確認された。また、ヒストンH3K18ラクチル化(la)が亢進している胃がん患者では、全生存期間および無再発生存期間が短く、ヒストンラクチル化亢進は、胃がん患者の予後を予測する有望なバイオマーカーとなる可能性が示唆された。
ヒストン脱アセチル化酵素SIRT1、胃がんの予後不良とヒストン脱ラクチル化に関与
遺伝子発現データベースを用いた解析により、ヒストン修飾関連酵素の発現異常と胃がん患者の予後悪化との関連性を調べた結果、ヒストン脱アセチル化酵素であるSIRT1の発現低下が、胃がんの予後不良に関与していることが明らかになった。SIRT1をヒト胃がん細胞株に強制発現させると、リジンラクチル化(panKla)およびH3K18laレベルの低下を認め、SIRT1がヒストン脱ラクチル化酵素として機能することが明らかになった。
H19による代謝亢進、ヒストンラクチル化上昇させるフィードバックループ機構形成
次にRNAシーケンスを用いて、SIRT1により発現が低下する遺伝子を探索した結果、長鎖ノンコーディングRNAの一つであるH19を同定した。H19は、多くの悪性腫瘍においてがん促進的な役割を持ち、解糖系の亢進にも関与することが知られている。機能解析の結果、H19遺伝子の発現は、SIRT1によるヒストン脱ラクチル化を介したエピジェネティック機構により抑制されていることが明らかになった。
さらに、ヒト胃がん細胞においてH19発現を抑制すると、LDHA遺伝子(乳酸脱水素酵素A)の発現抑制を介して解糖系が抑制され、ヒストンラクチル化レベルの低下が認められた。また、胃がん組織では正常組織と比較してSIRT1の発現が有意に低下していることが確認された。SIRT1発現低下はヒストンラクチル化レベル上昇を招く原因となり、H19遺伝子のエピジェネティックな発現増加を通じて解糖系が亢進し、ヒストンラクチル化レベルがさらに上昇するポジティブフィードバックループ機構が明らかになった。
SIRT1活性化剤とLDHA阻害薬の併用、ヒト胃がん細胞株に抗腫瘍効果
次にSIRT1活性化剤とLDHA阻害薬を併用した治療効果を検討した結果、ヒト胃がん細胞株に対しては抗腫瘍効果を示す一方、ヒト正常胃粘膜細胞株に対してはほとんど影響を与えないことがわかった。
以上の結果から、今回の研究はWarburg効果に関連する悪性腫瘍の新たな発達メカニズムを解明し、ヒストンラクチル化を標的とする新たな胃がん治療法の可能性を示唆している。
今後の臨床応用により、難治性胃がん治療の選択肢が大きく広がると期待
研究グループは、胃がんにおける「ヒストンラクチル化」の異常を明らかにし、これまでの化学療法とは異なる視点からラクチル化を標的とした治療法として、SIRT1活性化剤やLDHA阻害薬の併用療法が有望であることを示した。現在、免疫チェックポイント阻害薬が標準治療として導入されているが、依然として難治性の症例が多く、新たなバイオマーカーの発見が急務となっている。この研究では、胃がんの腫瘍増殖や進展に関わる重要な分子機構を同定することで、ラクチル化を標的とした新しい胃がん治療アプローチの可能性を示した。
今回、がん細胞特有の代謝現象である「Warburg効果」とエピゲノム修飾との関係を分子生物学的に解析し、新たなバイオマーカーや治療標的を特定し、胃がん治療の新しい方向性を切り拓く重要な知見を提供することができた。今後、この発見が臨床応用されれば、難治性胃がん患者に対する治療の選択肢が大きく広がることが期待される。
SIRT1活性化剤およびLDHA阻害薬は、すでに糖尿病や潰瘍性大腸炎など他疾患に対する臨床試験が実施されており、その安全性は確認されている。「今後は、マウスモデルを用いてSIRT1活性化剤とLDHA阻害薬の併用療法の胃がんに対する有効性や安全性を検証することが重要だ」と、研究グループは述べている。
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