運動による感覚信号の減弱が生じる時の脳神経の動きは?
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)は3月8日、動いている最中に手足の感覚が感じにくくなる脳の仕組みについて、サルを用いて明らかにしたと発表した。この研究は、同センター神経研究所モデル動物開発研究部の関和彦部長、窪田慎治室長らの研究グループによるもの。研究成果は「Cell Reports」オンライン版に掲載されている。
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新しいタオルで手を拭くときなどに感じる「柔らかさ」や「滑らかな肌触り」は、手で触れることで初めて感じることができる。このような手を介して感じる触感は、人間の身体を覆っている皮膚に多数存在している、触覚・圧覚・冷温覚などの感覚細胞(受容器)がモノに触れることで活動し、脳にその情報が伝わることで実現している。心理学の分野では、この皮膚から伝わる感覚信号は常に一定ではなく、運動よって変化することが知られていた。例えば、手を振る際に、自ら腕を動かす場合(自動運動)と、他人やロボットアームなどで他動的に腕が動かされる場合(他動運動)では、同じ関節の動きをする場合でもその動きの感じ方が異なる。実際、自動運動、他動運動それぞれの条件において、末梢神経を刺激して誘発される脳活動を調べてみると、自動運動時には誘発される脳活動が減少するのに対し、他動運動時にはそのような脳活動の変化は見られない。また、統合失調症の患者ではこの自動運動に伴う感覚の抑制が少ないことから、「自分がやっても他人がやっても同じように感じる」ような、自己と他者の区別ができなくなる精神症状などと関連していると考えられ、病態診断への応用を検討する研究例もある。
このように、運動に伴い感覚信号が減弱する現象は、「感覚ゲーティング」と呼ばれ、自分の動きと他動的な動きを区別するための脳の仕組みと考えられてきた。しかし、運動時にこの感覚ゲーティングを普段経験している一方で、このような末梢の感覚の変化を引き起こす脳内の仕組みは解明されていなかった。
延髄にある楔状束核の神経活動を記録する方法、サルを用いて開発
研究グループは今回、皮膚が刺激された際に生じる感覚信号が、必ず延髄にある楔状束核を通って脳に伝わることに注目し、サルが手首を動かしている最中に、楔状束核の神経活動を記録することで、運動に伴う感覚信号の変化を引き起こす脳の仕組みを解明することを目指した。楔状束核は脳の中で最も深い部位にあり、直径数ミリのとても小さい神経核である。研究グループは、MRI画像とCT画像を組み合わせて、電極位置をナビゲーションするシステムを新規に開発し、この脳深部の神経核から選択的に神経細胞活動を記録する方法を世界に先駆けて成功した。
サルが手首を動かすと、運動によって皮膚などに存在する感覚センサーが刺激され、皮膚の伸張や圧の変化に応じた感覚信号が脳に伝えられる。この時、運動によって生成される感覚信号は、関節運動の速度や大きさにより変化する。したがって、脳が運動に応じて感覚信号を調整する仕組みを理解するためには、記録される神経活動の変化が、皮膚に加わる刺激自体が変化したものなのか、脳が感覚信号の調整を行った結果なのかを区別する必要がある。研究グループは、サルの前腕の皮膚を支配している末梢神経に電極を埋め込み、同じ強度の電気刺激を加えることでこの問題を解決し、皮膚感覚からの入力信号を受け取る楔状束核の神経活動を記録した。
自ら動いた際の感覚信号は楔状束核で抑制されることが判明
次に、脳の中で、皮膚感覚が自身の運動と他動的な運動とで異なって処理されていることを明らかにするため、サルが自ら手首の屈曲伸展運動を行う場合と、実験者が他動的に手首を動かす場合の2条件で、楔状束核の神経活動を記録し、運動に伴う感覚信号の変化を測定した。
その結果、皮膚感覚は、その信号が脳に最初に到達する楔状束核ですでに、自動運動中に減弱していることがわかった。つまり、自己の運動中には、感覚信号が脳に伝わった時点ですでに抑制されていることが示された。一方、このような運動中の感覚信号の減弱は他動運動中には、ほとんど見られなかった。このことから、随意的な運動発現に関連する脳領域からの信号が、楔状束核での感覚抑制に関与していることが考えられた。
楔状束核からの指令により運動前から感覚信号を抑制し、運動準備状態をつくっていた
さらに、このような感覚抑制を引き起こす入力源を明らかにするために、楔状束核で記録された個々の神経細胞の皮膚感覚入力に対する応答の変化とその時間経過を自動運動時と他動運動時で詳しく解析した。すると、自動運動時には感覚入力応答が、運動開始前のおおよそ400ミリ秒前からすでに低下していることがわかった。これは、皮膚感覚が、運動するかなり前の時点で抑制されていることを示す結果である。一方、自動運動時に皮膚感覚からの入力応答が減弱する神経細胞のうち、約3割の細胞は他動運動時にも運動時に減弱を認めた。しかし、その減弱は運動開始後から見られ、自動運動時と比べて明らかに異なっていた。運動開始前は運動に関連する脳領域が主に活動し、運動開始後は脳の活動に加え皮膚や筋の感覚受容器も活動する。つまり、今回観察された自動運動の感覚抑制の時間変化は、筋活動を作り出すと同等の、脳からの運動指令によって引き起こされたということになる。
以上の結果から、感覚抑制の調整が脳内の運動指令中枢によって制御されていることが示された。これは、運動時に皮膚感覚を抑制する脳領域として、楔状束核が関与していることを示した世界初の結果である。
統合失調症などにおける自他混同などの病態解明につながる可能性
今回の研究により、皮膚など末梢感覚センサーからの感覚信号は、感覚信号の入力部(延髄楔状束核)において、運動開始前から予測的に調整されており、この調整は脳が事前に感覚信号に対するシグナルを出すことで行われていることが明らかとなった。このことにより、高次脳領域では感覚情報処理にかかる負担が軽減され、柔らかさやなめらかさなどより複雑な触感覚の認識を可能にしていると考えられる。また、このメカニズムは、健康な動物の感覚情報処理様式を示すとともに、さまざまな疾患による感覚運動異常を共通して説明し得るものといえる。特に、自動運動時と他動運動時とで感覚入力信号に対する調整様式の違いは、自己と他者の運動区別に関わっていると考えられる。「今後は、統合失調症などにおける自他混同などの病態の背景として、楔状束核の機能異常に着目した新たな治療法の開発が期待される」と、研究グループは述べている。
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・国立精神・神経医療研究センター プレスリリース