手綱核の神経回路は不安障害や大うつ病性障害に関連、不安には?
東北大学は2月14日、実験動物のマウスを用いて、脳の手綱核のアストロサイトが不安の程度を左右することを発見したと発表した。この研究は、同大大学院生命科学研究科の譚婉琴大学院生(学際高等研究教育院 博士教育院生)、松井広教授らの研究グループによるもの。研究成果は、「Neuroscience Research」に掲載されている。
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ヒトや動物は、常に周囲の環境を見回して、潜在的な危険があるか否かを無意識に評価している。その結果として、時に意識的には説明のつかない不安感に襲われ、この感情により、自然と危険を回避する行動が引き起こされることがある。マウスのようなげっ歯類は、開放的な場所、明るい場所、高所を避けるなどの行動をとることが知られている。これは捕食者から狙われる危険性を回避するためだと考えられるが、実験環境には実際の捕食者はいない。したがって、この時マウスに生まれる感情は「恐怖」ではなく「不安」だと考えられる。この感情の結果として、危険があらかじめ回避されるようであれば、不安は動物の生存にとって有益であると言える。しかし、ヒトを取り巻く環境は刻々と移ろうため、過剰な不安感は変化への望ましい適応さえも抑え込んでしまう可能性がある。反対に、危険性への適度なアセスメントを欠いた向こう見ずな行動も、生存を脅かす。
研究グループは、不安のレベルを適切にコントロールしているのは、手綱核という脳の領域でのアストロサイトと神経細胞の相互作用なのではないかと考えた。手綱核とは、上丘の背側にあり、海馬の下で両側に位置する一対の小さな神経核で、ほとんどすべての脊椎動物に見られる古い脳構造だ。ドーパミン作動性の神経系とセロトニン作動性の神経系の両方を制御する数少ない脳領域の一つであり、意欲や認知機能において重要な役割を担っている。手綱核の神経回路の動作異常は、不安障害や大うつ病性障害に関わることが示されている。一方、グリア細胞の一種であるアストロサイトは、局所脳内環境を維持し、伝達物質濃度を調節し、シナプス可塑性に影響を与える等の役割を担う。
したがって、アストロサイトと神経細胞の相互作用次第で、神経回路の動作の仕方が定まり、この相互作用に不具合が生まれれば、さまざまな精神疾患につながる可能性がある。そこで今回、手綱核のアストロサイトによる作用が周囲の神経細胞の活動に影響し、マウスの不安の程度が決まる可能性を検討した。
マウスが嫌悪するマーブルを床一面に敷き詰めたケージで不安を誘発
研究グループは、群馬大学とデンマークのコペンハーゲン大学との国際共同研究を実施し、マウスを用いた実験により、不安を司る脳内機構に注目し、特に、手綱核のアストロサイトが局所脳内環境を制御し、動物の不安の程度を左右する可能性を検証した。
マウスの不安様行動の評価に「ガラス玉(マーブル)覆い隠しテスト」が使われることがある。マウスにとってマーブルは脅威ではないが、マーブルの存在がマウスを不安にするようだ。マウスはこの不安から逃れるために、マーブルを床敷きの中に埋めることで、嫌悪刺激となっているマーブルを視界から取り除き、不安を和らげる反応を示す。マウスに抗不安薬を投与すると、マーブルを隠す数が減る。したがって、一定の時間で何個マーブルを隠したかで、不安のレベルを評価することができると考えられている。
そこで、ケージの床一面をマーブルで敷き詰めた「オールマーブルケージ」を、新たな不安誘発環境として用意。この場合、マウスは、床敷きによってマーブルを覆い隠すことはできないので、逃れられない強い不安感(マーブル・ブルー)に襲われることになると考えられる。
手綱核への8Hzシータバンド電気刺激で不安様行動を人為的に誘発、暗室を嫌がる
オールマーブルケージにマウスを入れて、手綱核の神経活動を局所フィールド電位として記録したところ、シータバンド(5-10Hz)での活動が増強することが示された。これをもとに、手綱核をシータバンドで電気刺激すればマウスの不安様行動を誘発できるのかを検証するため、2方明暗箱装置を考案した。この装置は、オールマーブルケージの明室と、快適な床敷のある暗室で構成されている。
まず、マウスを明室に入れて試験を開始したところ、マウスはより快適な暗室に移動し、実験時間の残りはほとんどそこに留まることが示された。続いて、マウスが明室から暗室に入るたびに手綱核に8Hzのシータバンドの電気刺激を与えた。すると、マウスは明室に留まる傾向が強まり、明室での総滞在時間は、コントロールと比較して有意に長くなった。このことから、手綱核への8Hzシータバンドでの電気刺激によって暗室への嫌悪が生じ、不安様行動が人為的に誘発されることが示唆された。
手綱核のアストロサイトの活動変化を、光で計測することに成功
さらに、不安に伴う局所的な脳内環境の変動を測定するため、アストロサイト特異的に蛍光Ca2+センサー、蛍光pHセンサー、または、血液内にアルブミンmScarletを発現させたマウスを用いた。これらのマウスを用いて手綱核に光ファイバーを留置し、励起光を送り込んで返ってくる蛍光を測定する方法(ファイバーフォトメトリー法)を実施した。
まず、血液内のアルブミン-mScarletの蛍光を観察したところ、マウスが不安誘発環境に置かれると、手綱核の局所脳血流量が増大することが示された。また、それぞれの蛍光センサー発現マウスを用いて、アストロサイト内Ca2+やpHの変動を可視化したところ、不安誘発環境において、手綱核アストロサイト内Ca2+は減少し、pHは酸性化することが明らかになった。
手綱核アストロサイトのArchT光活性化で、シータバンドの神経活動が減弱
これまでの同研究室での研究成果と組み合わせて考えると、アストロサイトの酸性化反応は、アストロサイトからのグルタミン酸などの伝達物質放出を促し、このグルタミン酸が神経細胞に働きかけることで、シータバンド活動が増強されるという経路が働くことが推測された。もし、このようなメカニズムが働くのであれば、アストロサイトの細胞内を人為的にアルカリ化することで、不安に伴う酸性化を拮抗させれば、抗不安作用が生まれる可能性がある。
そこで、アストロサイト特異的に外向きの光感受性水素イオンポンプArchTを遺伝子発現させたマウスを用意。このマウスのアストロサイトに光を当てると、アストロサイトの細胞内はアルカリ化する。まず、マウスをオールマーブルケージに置くと、シータバンドの局所フィールド電位の増加が観察された。ここで、両側の手綱核アストロサイトのArchTを光活性化すると、シータバンドの神経活動は減弱することが示された。
続いて、2方明暗箱装置を用いた研究を行った。マウスを暗室に入れると、マウスは暗室に留まる傾向が強いことが確認された。一方、実験群のマウスにおいて手綱核アストロサイトのArchTを光刺激すると、マウスは暗室から明室に移動して、統制群のマウスより、より長い距離を明室において探索する傾向にあることが明らかになった。
不安レベルをコントロールする脳内メカニズムの解明に期待
今回の研究により、不安誘発環境下で手綱核のアストロサイト内のpHが変化し、手綱核のシータバンド神経活動が調整され、マウスの不安レベルが左右されることが解明された。また、手綱核アストロサイトの活動を操作することで、不安レベルを調整できることも示された。したがって、不安障害の新たな治療戦略として、手綱核アストロサイトの機能に影響を与える薬が開発される可能性がある。
「健康で豊かな生活を営んでいく上で、不安という感情の持つメリットとデメリットを理解する必要がある。今後の研究を通して、不安のレベルをコントロールする脳内メカニズムが解明されれば、上手に不安と付き合っていく道が拓けることが期待される」と、研究グループは述べている。
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