ドーパミン細胞は匂いなどの感覚刺激にも応答、機序は?
理化学研究所(理研)は9月27日、ドーパミン細胞が、動物にとっての匂いの生得的な価値(好き嫌い)を符号化し、その価値を、動物が匂いを嗅ぐ経験を積み重ねる度に更新することを発見したと発表した。脳神経科学研究センター 知覚神経回路機構研究チームリサーチアソシエイトの加藤郁佳氏(研究当時)、テクニカルスタッフⅠの太田和美氏、チームリーダーの風間北斗氏らの共同研究グループによるもの。研究成果は、「Cell Reports」に掲載されている。
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動物は、感覚刺激の価値に基づいて環境を探索する。例えば、匂いをたどって食べ物を見つける経験をすると、感覚刺激の価値が更新される。経験を通じて匂いなどの感覚刺激が持つ意味や価値を更新していくことは、昆虫を含む動物にとって生存に直結する重要な能力である。これは、報酬や罰と同時に受容する感覚刺激を結びつける連合学習において広く研究されてきた。ドーパミン細胞は報酬や罰の情報を表現し、感覚神経細胞と連合野の細胞の間に作られるシナプスの性質を変化させることによって、感覚刺激の価値を更新することが知られている。
その一方、ドーパミン細胞は報酬や罰だけではなく匂いなどの感覚刺激にも応答することが報告されている。しかし、その応答がどのような情報を符号化していて、どのような役割を担っているかについては不明な点が多くある。
そこで研究グループは、匂い刺激に着目し、ドーパミン細胞は動物にとっての生得的な匂いの価値を符号化するという仮説を立てて検証した。もしそうであれば、どのような神経回路メカニズムを通して、匂いに対する応答性を獲得し、匂いの価値に応じて連合野の出力細胞の活動や行動を変化させるのかを明らかにすることを目指した。
ショウジョウバエのドーパミン細胞の活動を、カルシウムイメージング法などで検証
研究グループは、目的を達成する上でさまざま利点を備えるショウジョウバエを研究の対象とした。その理由としては、第一に、匂いに対して明確な忌避(逃げる)や誘引(とどまる)の生得的な行動を示すため、匂いの価値を定性的に評価できることがある。第二に、種々の遺伝学的技術が確立されていること、第三に、脳が小さいため、ドーパミン細胞を含め、各脳領域に存在する細胞の活動を網羅的に記録できることがある。
ショウジョウバエの脳では、嗅覚情報処理や連合学習をつかさどる領域の一つとしてキノコ体という連合野が同定されている。キノコ体は区画化された構造を持ち、各区画には異なるタイプのドーパミン細胞が出力を送っている。この区画内では嗅覚情報を伝える「ケニオン細胞」と「キノコ体出力細胞」がシナプスを作っており、ドーパミン細胞から放出されるドーパミン分子がシナプスの強さを調節している。研究グループは、カルシウムイメージング法と画像解析技術を用いて、キノコ体の全区画においてドーパミン細胞の活動を記録することに成功した。
ドーパミン細胞は匂いの価値の情報を抽出、数理モデルで判明
先行の行動実験を通して決定された多様な生得的価値を持つ匂いをショウジョウバエに提示したところ、好きな匂いにより強く応答するドーパミン細胞タイプと、嫌いな匂いにより強く応答するドーパミン細胞タイプが認められた。
数理モデルを用いた解析の結果、ドーパミン細胞の匂い応答から匂いの生得的価値が推定できることがわかった。この推定の精度は、嗅覚一次中枢である触角葉の細胞の匂い応答を用いた場合よりも高かったため、ドーパミン細胞は匂いの価値の情報を抽出することが示唆された。
また、ドーパミン細胞は苦味や甘味といった味の価値も符号化していることが知られていたが、味覚情報と匂い情報を同時に与えた場合、2つの情報を足し合わせることがわかった。これは、ドーパミン細胞が味と匂いという異なる感覚刺激の価値を忠実に統合できることを示唆している。
ドーパミン細胞の匂い応答に関わる嗅覚経路、コネクトームを活用したシミュレーションで明らかに
次に、ドーパミン細胞の匂い応答を生み出す神経回路メカニズムを、コネクトームのデータベースを用いて調べた。触角葉の細胞とキノコ体に投射するドーパミン細胞をつなぐ神経細胞を抽出し、コネクトームで確認されたシナプスの数に従って細胞間の情報伝達の強さを設定したネットワークモデルを作成した。このネットワークに以前計測した触角葉の細胞の匂い応答を入力したところ、出力であるドーパミン細胞の応答の特徴を再現できた。ネットワークの解析から、学習依存的と生得的な行動に関わる両方の嗅覚経路が、ドーパミン細胞の匂い応答の生成に貢献することが示唆された。
匂いの繰り返し提示により、ドーパミン依存的にキノコ体出力細胞の活動およびハエの行動に変化
続いて、ドーパミン細胞の匂いへの応答がキノコ体出力細胞の活動や行動にどのような影響を与えるかを調べた。匂いが感覚回路とドーパミン回路を同時に活性化させるという結果から、ドーパミン細胞は報酬や罰を符号化して感覚刺激の価値を更新するという定説とは別のドーパミン細胞の役割があると考え、匂いの提示だけで連合野の出力細胞の活動が変化するという仮説を立てた。
更新後の匂いの価値を表現していると考えられている、キノコ体出力細胞の活動を記録したところ、仮説通り、匂いの繰り返し提示によって、匂いの価値とドーパミン細胞の匂い応答に依存して活動が変化することが確認された。
このドーパミン依存的な活動の変化が行動に与える影響を調べるために、バーチャルリアリティ空間を飛行するショウジョウバエの匂いに対する行動を解析した。好きな匂いに応答するドーパミン細胞の活動を、光遺伝学を用いて阻害すると、キノコ体出力細胞の活動変化から予測される通り、行動がより嫌悪的になることが示された。これらの結果から、感覚刺激の価値の動的な更新におけるドーパミンの新たな役割が明らかになった。
適応的な行動を支える脳内情報処理の理解が進むことに期待
ドーパミン細胞の学習における機能は昆虫から哺乳類、ヒトまで共通しており、また嗅覚回路は感覚系の中でも進化的保存性が高いことから、今回の研究成果は、匂いを嗅ぐ経験に応じてその刺激の持つ価値を更新するという、適応的な行動を支える脳内情報処理の理解につながると期待される。
「研究は、ドーパミン細胞の匂い応答を網羅的に記録し、神経活動記録とコネクトームのデータを組み合わせてシミュレーションを行った先駆的な成果である。この技術を応用することにより、今後さまざまな脳領域において解剖学的データに基づく生理学の理解が飛躍的に進展すると期待される」と研究グループは述べている。
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・理化学研究所 プレスリリース