ASD者の視覚世界を体験するシミュレータ開発、定型発達者の反応は?
東京大学先端科学技術研究センターは8月3日、自閉スペクトラム症(ASD)知覚体験シミュレータを利用したワークショップを開催し、定型発達者がASD者に抱くネガティブな感情がワークショップの参加によって改善されることを明らかにしたと発表した。この研究は、同大先端科学技術研究センターの辻田匡葵特任助教、熊谷晋一郎准教授ら、同大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)の長井志江特任教授、株式会社LITALICOが運営するLITALICO研究所の本間美穂研究員らの研究グループによるもの。研究成果は、「PLOS ONE」オンライン版に掲載されている。
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近年、ASD者が社会的能力だけでなく感覚知覚についても非定型性を有しており、感覚過敏・鈍麻といった困難を抱える場合があることがわかってきている。定型発達者がASD者の知覚している世界を体験し、ASD者の抱える困難について理解を深めるために、ASD者の視覚世界を体験することができるヘッドマウントディスプレイ型シミュレータ(ASD知覚体験シミュレータ)が開発された。しかし、定型発達者がシミュレータを使用することでASDに対してどのような印象を抱くのかは未解明だった。
ASD知覚体験シミュレータ利用のワークショップ開催、ASDへの印象変化を調査
これまで、障害の体験を通じて差別偏見の改善を試みる研究がさまざまな障害分野で行われてきた。しかし、障害を体験することで差別偏見が改善する場合もあれば、むしろ悪化するという報告もある。今回の研究では、ASD知覚体験シミュレータを利用したワークショップを開催し、参加者のASDに対する印象を質問紙によって測定して、ASDに対する印象がワークショップの前と後でどのように変化するのかを調査した。
ワークショップは、ASD知覚体験シミュレータを利用した視覚体験に加えて、ASDの非定型な知覚に関する講義や、ASD者自身による感覚知覚の困難に関する語りを収録したビデオの視聴、ASD者の知覚を体験した感想などを共有し合う座談会といった内容で構成された。ASD知覚体験シミュレータを利用した視覚体験では、暗い部屋から明るい屋外へと移動する場面、駅のホームで待っている際に高速で電車が通り過ぎる場面、混雑した大学の食堂で食事をする場面の3つが視聴された。
ワークショップに参加した定型発達者は、217人。参加者のASDに対する印象の測定は、ワークショップへの参加登録時、参加当日、参加から6週間後の計3回、質問紙を用いて行われた。参加当日の測定に関しては、ワークショップの効果が反映されるワークショップ直後に測定するグループと、ワークショップの効果が反映されてないワークショップ開始前に測定するグループに分けられた。
質問紙は、4つの下位尺度(不快感情、平静感情、認知、行動)でASDに対する態度を測定できる尺度である多次元態度尺度が用いられた。この尺度では、架空の主人公が初対面のASD者とカフェで交流する場面の物語で構成され、その主人公がどのような態度を経験すると思うかを回答するものだ。
ワークショップ直後の不快感情は参加登録時よりも有意に低く、6週間後も持続
各下位尺度について、ワークショップ直後・6週間後の態度をワークショップ参加登録時と比較した。その結果、ワークショップ直後の不快感情がワークショップ参加登録時よりも有意に低くなっていることが判明。さらに、不快感情の低下が6週間後においても持続していることも確認された。この結果は、ワークショップに参加してASD者の知覚を体験したり、ASD者の語りに触れたりすることで、ASDに対するネガティブな感情が持続的に低減することを示唆している。
平静感情、認知についてはワークショップへの参加による態度の変化は見られなかった。行動については、ワークショップ直後には変化がなかったが、ワークショップから6週間後には、ワークショップ参加登録時より増加するという結果が見られた。不快感情に関しては6週間後でも低減していることを考慮すると、ASD者に対して差別的に回避行動をとったというよりは、カフェで知り合いではない人とコミュニケーションをとるというASD者にとってストレスフルな場面に対する配慮行動としてこのような回答傾向が見られたと考えられる。
ASD者の感覚知覚に関する困難への理解が深まることに期待
ASD者の有する感覚知覚の非定型性については、徐々に社会に浸透してきている。一方で、ASDの感覚知覚に関する困難を低減させるような配慮が学校や職場、公共施設においていまだ十分に整備されていないのが現状だ。また、ASDに対する差別や偏見、ネガティブな印象が社会に根強く残っているために、ASD者が生きづらさを抱える、適切な支援を受けられないといったことが問題となっている。このワークショップが学校の授業や企業の研修といったさまざまな場面で利用されて、ASD者の抱える感覚知覚に関する困難への理解が深まるとともにASDに対するネガティブな感情が改善されることで、ASD者が自身の可能性を十分に発揮できる社会の実現が期待される、と研究グループは述べている。
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・東京大学先端科学技術研究センター プレスリリース