「行動性体温調節」の神経回路は不明だった
名古屋大学は7月4日、暑さ・寒さから逃げて快適な温度環境を探す体温調節行動を起こす脳の神経路を明らかにしたと発表した。この研究は、同大大学院医学系研究科 統合生理学分野の八尋貴樹大学院生、片岡直也特任講師、中村和弘教授の研究グループによるもの。研究成果は、「Journal of Neuroscience」オンライン版に掲載されている。
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ヒトを含む恒温動物は体温を37℃前後に保つため、2つの様式の体温調節を行う。1つは「行動性体温調節」と呼ばれ、温度感覚による快・不快感に基づく本能的な体温調節行動を行うことで体温を保つ仕組みだ。ヒトであれば温度に合わせて衣服の着脱をしたり、エアコンを用いて環境温度を変えたりするなどの意識的な行動が体温調節行動にあたる。恒温動物のみならず、ヘビや昆虫などの変温動物でも寒い環境から逃げて暖かい環境を探す行動が見られ、行動性体温調節はほとんどの動物が普遍的に持つ仕組みだ。もう1つは「自律性体温調節」と呼ばれ、暑い環境で汗をかいて熱を逃したり、寒い環境で筋肉を震わせて熱を作ったりするような無意識に起こる体温調節の仕組みだ。恒温動物は、行動性体温調節と自律性体温調節を組み合わせることにより、効率的に体温を一定に保つ。
近年では、地球温暖化による気温上昇の影響もあり、国内で年間数万人が熱中症で救急搬送されている。熱中症患者には高齢者が多く、暑さを感じてエアコンをつけるなどの体温調節行動を上手く行えないことがその原因の一つとされている。気温上昇と高齢化の進む日本において、適切な体温調節行動を起こす仕組みを見出し、熱中症の発症メカニズムを解明することは社会的急務となっている。しかし、自律性体温調節の神経回路の研究が進む一方で、行動性体温調節の神経回路は明らかにされていなかった。
2017年に研究グループは、暑さ・寒さから逃げて快適な温度環境を探す行動を起こすためには、温度を意識の上で「感じる」ための感覚伝達神経路である脊髄視床皮質路ではなく、外側腕傍核という脳の領域を介して伝達される温度感覚情報が必要であることを報告した。外側腕傍核は、脳の橋(きょう)と呼ばれる部位にある神経核で、体内のさまざまな感覚情報を前脳の幅広い領域に中継することが知られている。研究グループは今回、皮膚のセンサーで感知した温度感覚情報を伝達して体温調節行動を起こす、外側腕傍核から前脳への神経路について、ラットを用いて解析した。
温度情報が外側腕傍核から正中視索前核と扁桃体中心核へ伝達され体温調節行動が起こる?
まず、アデノ随伴ウイルスを用いて、ラットの外側腕傍核の神経細胞に細胞膜移行型緑色蛍光タンパク質(palGFP)を発現させ、その神経線維である軸索を可視化した。すると、外側腕傍核の神経細胞から伸びた軸索の終末は、視床下部にある体温調節中枢である視索前野の正中視索前核と呼ばれる部位と、情動形成や恐怖記憶形成の中心として知られる扁桃体の中心核と呼ばれる部位に、特に密集して分布することが判明した。
そこで研究グループは、皮膚から脊髄を介して外側腕傍核に送られてきた温度情報が、外側腕傍核から正中視索前核と扁桃体中心核へ伝達され、その温度感覚情報をもとに体温調節行動が起こるという仮説を立て、検証を行った。
外側腕傍核の2つの神経細胞群は、体温調節において異なる機能を持つ可能性
研究グループは、自律性体温調節には外側腕傍核から正中視索前核への温度感覚情報の伝達が必要なことを明らかにしていた。一方で、外側腕傍核から扁桃体中心核へ温度感覚情報が伝達されるかは検討されていなかった。そこで、軸索の終末から取り込まれ、神経伝達とは逆方向に運ばれて神経細胞体を標識する逆行性神経トレーサーであるコレラ毒素Bサブユニットを用いて、扁桃体中心核へ軸索を伸ばす外側腕傍核の神経細胞群を標識すると、この神経細胞群はラットが低温環境にいるときに活性化されること、また、正中視索前核へ軸索を伸ばす神経細胞群とは別のグループであることが明らかになった。
この実験結果から、外側腕傍核から正中視索前核あるいは扁桃体中心核へ伝達する2つの神経細胞群は体温調節において異なる機能を持つ可能性が示唆された。
正中視索前核への伝達は暑さ、扁桃体中心核への伝達は寒さを避け快適温度を選ぶ行動へ
次に、ラットの体温調節行動を解析するため、2プレート温度選択試験を行った。温度を自在に設定できる2枚の金属プレートを横並びに配置し、片方のプレートを28℃(中性温)、他方を39℃(高温)または15(低温)に設定した。通常のラットは高温・低温のプレートよりも中性温のプレート上に長く滞在した。これは、高温・低温を避けて快適な中性温環境を選ぶ暑熱・寒冷逃避行動という体温調節行動だ。
そこで、軸索の終末から感染するアデノ随伴ウイルスと神経細胞体から感染するアデノ随伴ウイルスの2種類を組み合わせて脳に注入し、外側腕傍核から正中視索前核あるいは扁桃体中心核へ伝達する神経路をそれぞれ選択的に遮断する実験を行った。まず、化学遺伝学的手法を用いて、外側腕傍核から正中視索前核へ伝達する神経路を抑制したラットを作製した。このラットは、2プレート温度選択試験で暑熱逃避行動ができず、むしろ、高温のプレートの方にやや長く滞在するようになった。一方、寒冷逃避行動は正常にできたという。
さらに、別のラットに光遺伝学的手法を用いて、外側腕傍核から扁桃体中心核への神経伝達を抑制した。すると、寒冷逃避行動ができなくなったが、暑熱逃避行動は通常のラットと同じようにできた。また通常、皮膚を冷却すると体温低下を防ぐための自律性体温調節反応として、褐色脂肪組織で熱の産生が起こる。しかし、正中視索前核あるいは扁桃体中心核へ伝達する外側腕傍核のいずれかの神経細胞群に破傷風毒素軽鎖を発現させて神経伝達を抑制すると、皮膚冷却による褐色脂肪熱産生は起こらなくなった。さらに、それらのラットは暑熱環境では高体温状態になり、寒冷環境では体温低下が起こった。
これらの結果から、皮膚から脊髄を介して外側腕傍核に送られてくる温度感覚情報は正中視索前核と扁桃体中心核へ神経伝達され、正中視索前核への伝達は暑さを避けて快適な温度を選ぶ行動を、扁桃体中心核への伝達は寒さを避けて快適な温度を選ぶ行動を起こすことが明らかになった。
「扁桃体」が体温調節に関わっていることは初めての発見
こうした体温調節行動は、温度感覚によって形成される不快感(不快情動)によって駆動されると考えられ、同成果は、暑さに対する不快情動と寒さに対する不快情動が異なる神経回路メカニズムで形成されることを示唆している。
また、外側腕傍核を介したどちらの神経路も、褐色脂肪熱産生などの自律性体温調節反応の発現に必要であることが明らかになった。特に、扁桃体が体温調節に関わることはこれまで報告されておらず、同結果は、体温・代謝調節を担う未知の神経回路メカニズムが存在する可能性を示している。
熱中症・低体温症のリスク評価、脂肪代謝を促進する肥満予防技術開発につながる可能性
今回の研究成果により、暑熱逃避行動と寒冷逃避行動を生み出す脳の仕組みが異なることが世界で初めて示され、動物が普遍的に行う本能行動である体温調節行動の神経回路基盤の枠組みが明らかにされた。動物には、体温調節行動以外にもさまざまな本能行動があるが、それらを駆動する情動や欲求を脳の中で生み出すメカニズムはほとんど未解明だ。同研究で見出された神経路は、情動中枢として知られる扁桃体などが関与し、温度感覚による快・不快感(快・不快情動)の発現を担うものと考えられる。そして、この神経路の動作原理は、他の本能行動を起こす情動や欲求の発現メカニズムとも共通する可能性があり、さらなる研究の進展によって、動物の行動全般を規定する神経メカニズムの基本原理の解明につながる可能性がある。
近年、熱中症の罹患者が増加しており、暑さから逃避する行動の重要性が高まっている。熱中症予防のためには、暑さに対して適切な不快情動が発現し、適切な体温調節行動を行うことが重要だ。同研究では、外側腕傍核から正中視索前核への温度感覚の神経伝達が遮断されると、高温から逃げられなくなるとともに、暑い環境でラットが高体温症になった。ヒトの場合、特に高齢者では皮膚の温度感知機能の低下により、外側腕傍核を介した暑熱不快感の形成が起こりにくくなるため、体温調節行動が阻害され、熱中症に陥りやすくなる可能性がある。熱中症患者を減らすためには、主観的な感覚や情動に基づく本能的な体温調節行動ではなく、客観的な気温や湿度の情報に基づく予防的な体温調節行動を促すことが必要だと考えられる。今後、この研究が進み、環境温度に対する快・不快情動発現に関わる正中視索前核や扁桃体中心核などの脳領域の活動を測定することができるようになれば、高齢者の熱中症・低体温症のリスク評価、環境温度による心身負荷の少ない衣服や室温管理システムの開発などに貢献できると考えられる。
「本研究で同定した、正中視索前核あるいは扁桃体中心核へ伝達する外側腕傍核の2つの神経細胞群はともに、寒冷刺激に応じた褐色脂肪組織の熱産生を起こすためにも必要であることがわかった。この発見は、体温や代謝を適切に調節して健康を保つ脳の神経回路メカニズムの新たな理解を促すものであり、この知見をもとに、糖尿病などを含む肥満症を超早期の未病段階で検出する技術や、脂肪代謝を促進する新たな肥満予防・治療の技術開発などにつながる可能性がある」と、研究グループは述べている。
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