がん悪液質の全身への悪影響、原因をショウジョウバエモデルで検討
理化学研究所は5月16日、ショウジョウバエを用いた実験により、がん細胞が分泌する「ネトリン」というタンパク質が、がんによる全身症状の発症に関わっていることを明らかにしたと発表した。この研究は、同研究所生命機能科学研究センター動的恒常性研究チームの岡田守弘研究員(理研開拓研究本部Yoo生理遺伝学研究室研究員)、ユ・サガン チームリーダー(理研開拓研究本部Yoo生理遺伝学研究室主任研究員)らの研究グループによるもの。研究成果は、「The EMBO Journal」オンライン版に掲載されている。
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がんが発生する仕組みについてはさまざまな研究が行われており、細胞のがん化を防ぎ、がん化した細胞を除去するための予防・治療法の開発が進められている。一方、発生したがんが個体に与える影響については、いまだに多くのことがわかっていない。
その中でも、がん悪液質と呼ばれる筋肉や脂肪の減少といった全身症状は進行がん患者の80%以上に認められ、予後に悪影響を及ぼす。がん悪液質の存在は古代ギリシャの医学書にも記述があるが、がん悪液質を完治し、生存率を大幅に改善した報告はない。研究が立ち遅れている原因は、がん悪液質は生理的な異常が複雑に絡み合う全身性の代謝障害のため、個体を使った解析が必須であるにもかかわらず、その解析が困難な点にある。
研究グループは、組織・時期特異的な遺伝学的操作が可能であり、複雑な生理的異常を個体レベルで解析できる点に秀でるショウジョウバエをモデルに選び、どのような仕組みでがんが全身に悪影響を及ぼし、個体の死が誘導されるのかを調べた。
がん細胞の分泌因子にネトリンを発見、発現阻害で個体の生存率上昇
ヒトのさまざまながんにおいて、変異が確認されているがん遺伝子の一つにRasがある。研究グループは、幼虫の将来眼になる組織(成虫眼原基)に、ショウジョウバエの変異型Ras遺伝子を発現させ、ショウジョウバエがんモデルを作製した。成虫眼原基に生じたがん細胞は転移や大量増殖はしなかったものの、がんを誘導して数日以内に80%以上の個体が死亡した。
そこで、「がん細胞そのものではなく、がん細胞から分泌された因子が全身に悪影響を与えている」という仮説を立てた。網羅的な遺伝子発現解析を行った結果、がん細胞で発現が上昇する20種類の分泌因子を特定した。分泌因子の生理的な機能を理解するために、がん細胞で分泌因子の遺伝子発現を阻害し、生体の生存率への影響を調べた。その結果、「ネトリン」の発現をがん細胞で抑制すると、がん細胞自体の増殖には影響がないにもかかわらず、個体の生存率が著しく上昇することを発見した。
ネトリン<脂肪体にある受容体に結合<カルニチン産生抑制<エネルギー不足<個体死
続いて、がん細胞から分泌されるネトリンだけを蛍光タンパク質で可視化できるトランスジェニック個体を作製し、遠隔組織に対する作用機序を調べた。その結果、がん細胞から体液中に分泌されたネトリンは、代謝恒常性に必要不可欠な組織である脂肪体(哺乳類の肝臓や脂肪に相当する組織)に作用し、ネトリン受容体であるUnc-5タンパク質に結合することが明らかになった。
本来、ネトリンは神経回路形成に関わる因子として、ネトリン分泌細胞に向かって神経軸索を誘導する(引き寄せる)機能が広く知られてきた。しかし今回、ネトリンがホルモンのように体液中に分泌され、離れた組織に作用する因子として機能することが初めて示された。
最終的に、がん細胞で生成されたネトリンは、がん細胞から離れた脂肪体組織においてカルニチンという物質の産生を抑制し、個体全体でのカルニチン量を低下させていることがわかった。カルニチンは細胞内の脂肪酸をエネルギーに変える脂肪酸代謝に必須なため、カルニチン量の低下がエネルギー不足を引き起こし、個体を死に至らせることが示された。
カルニチンやアセチルCoAの投与で生存率が回復
最後に、ネトリンによって引き起こされる全身症状を改善することで、個体の生存率が改善できないかを調べた。がん細胞から離れた脂肪体組織のネトリン受容体やその下流のシグナルを抑制すると、カルニチン量が上昇し、個体の生存率が著しく上昇した。その際、がん細胞自体には影響はなかった。また、がんを発症した個体に不足しているカルニチンや、カルニチンの働きで作られるアセチルCoAを投与すると、生存率が回復できることもわかった。
がん患者でも血液・尿中ネトリン上昇と血中カルニチン低下を確認、今後の検証に期待
今回の研究の最大の意義は、神経軸索の誘引因子としての機能が広く知られてきたネトリンが、離れた臓器同士を連関させる液性シグナルとして機能し、がん悪液質に関与することの発見である。ヒトの場合でもがん患者には、血液や尿におけるネトリン量の上昇と、血液で検出されるカルニチン量の低下が認められる。この2つはこれまで一見無関係な現象と考えられてきたが、今回の研究のショウジョウバエがんモデルは、がん患者のがん悪液質の生理状態を反映したモデルになる可能性がある。ネトリンを標的としたがん治療について、今後の検証が待たれる。
「がん細胞自体を変化させなくても、がん細胞から離れた組織の代謝状態を変化させるだけで、個体の死を回避させられることが示された。この成果は、たとえ、がんが存在したとしても、全身症状のコントロールにより生存率の改善を目指せる可能性があることを示している」と、研究グループは述べている。
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・理化学研究所 プレスリリース