卵巣がんに対する化学療法が転移を誘発するのはなぜか
名古屋大学は1月24日、化学療法に起因する卵巣がんの転移は、Mas受容体と呼ばれる分子を活性化することで抑制できる可能性があることを見出したと発表した。この研究は、同大大学院医学系研究科ベルリサーチセンター産婦人科産学協同研究講座の那波明宏特任教授、斉藤伸一客員研究者(医療法人葵鐘会 研究開発部)らと、同研究科産婦人科学の梶山広明教授との共同研究によるもの。研究成果は、「Laboratory Investigation」電子版に掲載されている。
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固形がんによる死亡の約9割が転移性疾患に起因するといわれており、転移の有無は生命予後の転換点といえる。卵巣がんに対する化学療法は、原発巣ではよく奏効するものの、がんの転移に対する抑制効果は認められず、それどころか化学療法ががんの転移を誘発してしまう場合もあることが近年の研究から明らかになってきている。しかし、そのメカニズムはよくわかっていなかった。
卵巣がんの化学療法で用いられるシスプラチンは、副作用として腎臓の機能を低下させてしまう場合がある。通常、食物を摂取すると、栄養分が吸収された後、老廃物は便や尿として排泄されるが、腎機能が極端に低下していると、尿として排泄すべき老廃物(尿毒素と呼ぶ)が血液中に溜まってしまう。代表的な尿毒素であるインドキシル硫酸(IS)が蓄積した場合、脳卒中や心不全による死亡リスクが高まることなどがよく知られているが、がんとの関連性はほとんど研究されておらず、ましてや、卵巣がん転移への影響などはまったくわかっていなかった。
そこで研究グループは、シスプラチンの副作用で腎機能が低下した場合、血液中にISが蓄積し、ISの作用によって卵巣がんの転移が促進されるという仮説を立て、検討を行った。
シスプラチン投与マウスで、腎機能低下と血中IS濃度上昇を確認
シスプラチンを投与したマウスの腎臓の機能や血液中のIS濃度を1週間おきに測定したところ、少なくとも1か月間は、生理食塩水を投与したマウスよりも腎機能が低く、IS濃度は高くなることが示された。また、卵巣にがんを接種したマウスに対してISを3日おきに1か月間投与したところ、生理食塩水を投与したマウスよりも広範囲にがん細胞がひろがっていることが観察された。
ISは卵巣がん細胞のMas受容体の発現を低下させ、浸潤能を上昇
これまでに、梶山教授らの研究グループは、卵巣がん進行の分子メカニズムについて、卵巣がんを含む婦人科系がん(卵巣がん、子宮頸がん、子宮内膜がん、絨毛がん)の組織では「レニン-アンジオテンシン系」と呼ばれる内分泌の調節システムが活性化しており、それにより、がんの増殖、浸潤および血管新生が促進されていることを報告していた。今回は逆に、レニンーアンジオテンシン系の活性化を阻害する分子であり、各種のがんの増殖やリンパ節転移に対して抑制的に働くことが報告されているMas受容体と呼ばれる分子に注目して検討を行った。
ISを含む培地で卵巣がん細胞を培養したところ、Mas受容体の発現が低下することがわかった。また、がんが転移する際には、浸潤と呼ばれるプロセスを経るが、ISは卵巣がん細胞の浸潤能を上昇させることがわかった。
Mas受容体の活性化により浸潤能上昇は打ち消される
さらに、ISによる浸潤能の上昇はMas受容体を活性化させる分子であるアンジオテンシン-(1-7)によって打ち消されること、ISがMas受容体の発現を低下させる際には、芳香族炭化水素受容体、活性酸素種およびシグナル伝達兼転写活性化因子3と呼ばれる分子が必要であることがわかった。
ISのような尿毒素は血流により全身に運ばれるため、卵巣以外のがんの進行にも影響する可能性
化学療法によるがんの転移誘発に関する先行研究において、抗がん剤が直接的にがん細胞の性質を変化させることが示されてきた。一方、今回の研究では抗がん剤が腎機能を低下させ、それによって間接的にがん細胞の性質を変化させることが示された。このような報告はこの研究成果が世界初になるという。
今回研究グループはISに焦点を当てたが、欧州尿毒素研究グループ(EUTox)によれば100種類を超える尿毒素が存在し、また、ISのような尿毒素は血流によって全身に運ばれるため、卵巣以外のがんの進行にも影響を及ぼす可能性が考えられる。「研究成果を契機として、それらの尿毒素が各種のがんに対してどのような影響を及ぼすのかをそれぞれ調べていくことで、がんの転移を引き起こさない新たな治療戦略が構築されることが期待される」と、研究グループは述べている。
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