「記憶の保持時間」を適切に制御する仕組みは不明だった
九州大学は9月28日、記憶を忘れさせる仕組みとは別に、記憶を思い出させる仕組みがあることを、新たに発見したと発表した。この研究は、同大大学院理学研究院の新井美存学術研究員と石原健教授らの研究グループによるもの。研究成果は、「The Journal of Neuroscience」に掲載されている。
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ヒトを含む動物は、外部や体内の環境から取り入れた情報の一部を記憶として神経細胞に保持し、それに基づいてどう行動するかを決定している。しかし、環境は変化し続けるため、数日後、数か月後にその記憶が必要かどうかは不明だ。例えば、自分の名前などの記憶はずっと覚えている必要があるが、特売日や集合時間などの記憶は、特定の日時が過ぎれば不要になる。
不要になった記憶が蓄積されると、他の必要な記憶の想起を邪魔して適切な行動の選択を妨害することがあるため、使わない記憶は積極的に忘却されることが重要だ。しかし、能動的な忘却によって記憶の保持時間を適切に制御するための神経回路や分子メカニズムは明らかにされていない。
想起促進経路で働く遺伝子「dgk-1」を同定
研究グループは、線虫を用いて記憶の忘却の分子・神経回路について研究している。線虫の中枢神経系は単純だが、匂いと飢餓などを関連付けて学習して記憶を形成し、その記憶をもとに一時的に行動を変化させることができる。線虫を餌のない条件で匂いにさらすと、嗅覚学習が起きてその匂いに対する応答が弱くなる。この行動変化は数時間で回復するので、これを忘却のモデルとして研究している。この学習では、AWAという神経細胞の活動を測定することにより、匂いの記憶が保持されていること(記憶痕跡)を確認できる。
これまで研究グループの研究室では、AWCという別の神経細胞で働く「忘却促進」経路が分泌するシグナルにより、能動的に忘却が制御されていることを明らかにしている。忘却促進経路で働く分子(TIR-1)が失われた線虫では、AWA神経細胞に記憶がより長く保持され、記憶に基づく行動の変化も長く続くという。
そこで今回、「忘却促進経路で働く分子が失われていても行動の変化を回復させる遺伝子」を探索した。その結果、「ジアシルグリセロール」というシグナル伝達分子の濃度の制御に関わる遺伝子(dgk-1)を同定した。
一つの神経細胞が「忘れさせる」「思い出させる」ことを制御していた
この遺伝子を欠損させると、AWA神経細胞における記憶は長く保持されているにもかかわらず、記憶を忘却したかのように記憶獲得前の行動に戻った。つまり、dgk-1遺伝子が働かないと、想起促進経路が阻害されて、記憶はあるにもかかわらず思い出せていないことになる。
さらに、この想起促進経路で働く遺伝子は、AWC神経細胞で働いていること、ジアシルグリセロールが学習するまでに高いと想起しやすくなることも明らかにされた。
認知症やPTSDなどの理解と治療につながる可能性
今回の研究により、忘却を能動的に制御する分子経路だけでなく、想起を能動的に制御する分子経路が同定された。さらに、この2つの経路が適切に働くことにより、記憶の保持時間が適切に制御されていることが推測された。
記憶を忘却することと、記憶を想起できないことの違いを理解することは、記憶の保持時間の制御を理解する上で重要だ。記憶の保持時間を適切に制御することで、今の環境により適した行動を選択することができる。認知症やPTSDなどでは、この制御に異常があると考えられる。
「記憶を想起するか忘却するかを決定する機構の存在を明らかにした本研究は、将来的にこのような病気のより深い理解と治療につながることが期待される」と、研究グループは述べている。
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・九州大学 研究成果