「D-アミノ酸」が腸管病原細菌や腸内細菌に与える影響は不明点が多かった
慶應義塾大学は8月19日、D-アミノ酸の一つである「D-トリプトファン(D-Trp)」が、腸内の病原細菌や病原性片利共生細菌の増殖を抑え、腸炎を予防することを発見したと発表した。この研究は、慶應義塾大学、明治ホールディングス株式会社を中心とする研究グループによるもの。研究成果は、「iScience」電子版に掲載されている。
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L-アミノ酸は、酵素や抗体、ホルモンなどのタンパク質の構成要素であり、生体の維持に必須な物質だ。一方、D-アミノ酸は、細菌の細胞壁(ペプチドグリカン)の構成成分として知られているが、その機能は非常に限定的であると考えられてきた。また、哺乳動物においては通常、生体内にD-アミノ酸は存在しないとされていた。しかし、分析技術の進歩によって、D-セリン、D-アスパラギン酸、D-アラニン、D-システインなどのD-アミノ酸が哺乳類の組織中に存在し、多くの生理学的プロセスに重要な役割を果たしていることが明らかになってきた。
また、腸内細菌によっても多様なD-アミノ酸が作られており、腸内に存在している。D-アミノ酸は殺菌作用を持つことが知られていることから、外来からの病原性細菌の増殖を阻止し、腸内細菌叢のバランスを維持する上で重要な役割を果たしていることが考えられる。しかし、D-アミノ酸が腸管病原細菌や腸内細菌に与える影響については、不明な点が多く残されていた。
D-Trpの投与で、C. rodentium感染マウスの生存率が用量依存的に改善
研究グループはまず、腸管病原細菌の増殖における各D-アミノ酸の阻害効果を試験管内で比較した。対照群(D-アミノ酸非添加群)と比較して、ほとんどのD-アミノ酸、特に「D-メチオニン(D-Met)」と「D-Trp」の添加により、マウスの腸管病原体であるCitrobacter rodentium(C. rodentium)の増殖が抑制された。
次に、D-MetとD-TrpがC. rodentiumに感染したマウスに防御的に働くか否かを検証した。その結果、D-Metの投与は、C. rodentium感染後のマウスの生存率を大きくは上げなかったが、死亡日数を延長した。一方、D-Trpの投与は、C. rodentium感染マウスの生存率を用量依存的に改善したという。
特定の腸内細菌を減少させて大腸炎を抑制
さらに、D-Trpがマウス腸内のC. rodentiumの増殖を阻害できるか否かを観察した。対照(非投与)マウスとL-トリプトファン(L-Trp)投与マウスでは、C. rodentiumは感染3日目に糞便中で検出され、その後さらに増加し、6~9日目まで上昇したままだった。一方、D-Trp投与マウスでは、感染3日目にC. rodentiumが糞便中で検出されたが、6~9日目まで減少した。以上の結果から、D-TrpはC. rodentiumの腸内での増殖を抑制することにより、致死的な腸管感染症を防ぐことが明らかになった。
続けて、D-Trpが腸内細菌によって引き起こされる腸炎を抑制するか検証した。腸内細菌依存的な腸炎を誘導するデキストラン硫酸ナトリウム(DSS)をマウスに投与すると、体重の低下とともに、大腸に強い炎症が惹起される。しかし、D-Trp投与マウスは、DSSを飲ませても体重はほとんど低下せず、腸炎も引き起こされなかったという。以上の結果から、D-Trpは腸内細菌によって引き起こされる腸炎に対する防御作用も有することが明らかとなった。
これらの結果から、D-Trpの投与は腸内細菌叢を変化させていると考えられた。そこで、D-Trp投与後の腸内細菌叢の組成を解析した。主成分分析等を行った結果、D-Trp投与によって、腸内細菌叢の組成が変化することが明らかになった。D-Trpで処理されたマウスでは、Lactobacillaceae科、Tannerellaceae科、Bacteroidaceae科に属する細菌群の割合の増加と、Lachnospiraceae科、Muribaculaceae科、Rikenellaceae科に属する細菌群の割合の減少が見られたという。実際に、D-Trp投与で腸内の相対割合が低下したLachnospiraceae科細菌であるClostridium saccharolyticumは、D-Trp存在下で増殖が強く抑制されたが、D-Trp投与で腸内の相対割合が増加したLactobacillaceae科のLactobacillus murinus(現在はLigilactobacillus murinusに名称変更)は、D-Trpの有無で増殖能に違いは見られなかった。以上の結果から、D-Trpは特定の腸内細菌の増殖を阻害することで、腸炎を抑制している可能性が示唆された。
D-Trp投与により菌体内で増加するインドールアクリル酸が、腸管病原細菌の増殖を抑制
最後に、D-Trpが細菌の代謝にどのように影響しているかを検証した。まず、C. rodentiumをL-TrpまたはD-Trpの存在下で培養した後の菌体内の代謝物を比較。その結果、L-Trp添加時と比べて D-Trp添加時に菌体内で有意に増加している代謝物が見つかった。その中で、インドールアクリル酸がD-Trp添加時に菌体内で非常に多く検出された。そこで、インドールアクリル酸の存在下で C. rodentium を培養したところ、その増殖が抑制されることが判明した。さらに、インドールアクリル酸を含む飼料を与えたマウスにC. rodentiumを感染させたところ、対照マウスと比べて生存率が有意に向上したという。また、感染後9日目の糞便中のC. rodentiumの菌数も、対照マウスと比べ、インドールアクリル酸摂餌マウスで有意に減少していた。
以上のことから、D-Trpによって菌体内で増加するインドールアクリル酸が、腸管病原細菌であるC. rodentiumの増殖を抑制することが明らかとなった。
D-Trpの感染性腸炎や炎症性腸疾患に対する効果に期待
腸内細菌によって産生される代謝物の中には、宿主生理機能を向上させ、疾患病態を軽減させる物質が存在する。しかし、機能が明らかにされた腸内細菌由来代謝物は、まだほんの一部だ。ヒトの100倍以上の遺伝子を持つと言われている腸内細菌叢は、機能未知な代謝物を介して、ヒトの健康状態に大きく影響を及ぼしていると考えられる。
「本研究では多様な働きを持つことが次第に明らかにされ、また、腸内細菌によっても産生されるD-アミノ酸の新たな役割を見つけることができた。D-Trpは、腸炎惹起性の細菌に直接的に作用し、増殖を抑制することから、感染性腸炎や炎症性腸疾患に対する効果が期待できる」と、研究グループは述べている。
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