社会性や情動を制御するシナプス伝達、脳の発達段階での社会経験剥奪が与える影響は?
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)は6月30日、思春期における社会経験の剥奪により眼窩前頭皮質-扁桃体回路においてシナプス伝達の異常が引き起こされ、これが成熟後に社会性の低下や受動的ストレス反応の増加を引き起こす一因となることをマウスで明らかにしたことを発表した。この研究は、同研究センター精神保健研究所精神薬理研究部の國石洋リサーチフェロー、山田光彦部長らの研究グループによるもの。研究成果は、「Neuropsychopharmacology」に掲載されている。
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脳の神経回路は、遺伝子情報に従って環境の影響を受けながら柔軟に発達していく。脳の発達段階における他の個体との社会経験は、情動や社会性の発達に重要であると考えられており、一方で、ネグレクトなどの経験は、その後の社会的スキルの低下やうつ病などの発症リスクと相関することが報告されている。さらに、マウスなどの実験動物においても、思春期の社会経験を剥奪すると、成熟後に社会性や情動行動の異常が観察されることが知られている。しかし、社会性や情動を制御する神経回路の情報伝達(シナプス伝達)において、不適切な成育環境がどのような変化を引き起こし、行動異常を招くのか、その詳しいメカニズムは、あまりよくわかっていない。
研究グループは、脳の発達段階における社会経験の剥奪が、「眼窩前頭皮質」という社会性や情動の制御、動機付けに重要とされる脳部位と「扁桃体」という同じく社会性や情動情報の処理に中心的な役割を果たす脳部位のニューロン間のシナプス伝達に悪影響を与えることで、社会性や情動の異常の原因となるのではないかと仮説を立てた。この仮説を検証するため、マウスをモデルに研究を進めた。
思春期隔離マウス、内側/外側眼窩前頭皮質から偏桃体投射をシナプス伝達解析
まず、研究グループは成育環境の行動に対する影響を確認した。具体的には、思春期マウスを隔離飼育することで他個体とのコミュニケーションを剥奪し、成熟後に行動評価を実施。その結果、隔離飼育されたマウスでは、他個体に対する社会行動の低下と、逃避不可能なストレス状況における受動的ストレス対処の増加(強制水泳試験、尾懸垂試験における無動)などの行動異常が観察された。
次に、眼窩前頭皮質から扁桃体に投射するシナプス伝達を光遺伝学と電気生理学的手法を組みあわせて単離計測し、その機能に対する社会隔離の影響を調べた。ヒトの脳画像研究では、眼窩前頭皮質の内側領域はポジティブな情動に、反対に眼窩前頭皮質の外側領域はネガティブな情動の処理に関わることが推測されている。なお、内側・外側眼窩前頭皮質ともに扁桃体へ投射しているため、内側眼窩前頭皮質から扁桃体と、外側眼窩前頭皮質から扁桃体に投射するそれぞれのシナプス経路を分けてシナプス伝達の解析行った。
思春期の隔離飼育、「内側」経路に影響して社会性異常、「外側」経路に影響して受動的ストレス対処変化
その結果、思春期に隔離飼育されたマウスでは、内側眼窩前頭皮質から扁桃体に投射するシナプスにおいて、興奮性伝達におけるAMPA受容体由来電流成分の低下が成熟後に観察された。一方、外側眼窩前頭皮質から扁桃体への投射シナプスでは反対に、AMPA受容体電流成分の増加が観察された。これらの結果は、思春期の社会隔離は内側眼窩前頭皮質-扁桃体シナプスでは興奮性シナプス伝達効率の低下を引き起こす一方で、外側眼窩前頭皮質-扁桃体シナプスでは伝達効率の増加をもたらすことを示唆している。
そこで、上記の眼窩前頭皮質-扁桃体経路の領域依存的な変化が、本当に隔離飼育されたマウスの社会性やストレス対処行動の変化に関係しているのか確かめるため、光遺伝学を用いて眼窩前頭皮質-扁桃体シナプス伝達を操作し、その行動への影響を確かめた。まず、通常の集団飼育で育ったマウスの内側眼窩前頭皮質-扁桃体経路のシナプス伝達を人為的に抑制すると、隔離飼育されたマウスと同様に社会性の低下が観察された。対して、隔離飼育されたマウスのシナプス伝達を活性化すると、隔離によって低下していた社会性が集団飼育マウスと同じ程度に回復。一方、外側眼窩前頭皮質-扁桃体経路の神経伝達を集団飼育マウスで人為的に活性化した場合、隔離飼育されたマウスと同様に受動的ストレス対処行動が増加した。反対に、隔離飼育されたマウスにおいてこの回路の伝達を抑制した場合、隔離によって増加していた受動的ストレス対処行動が、集団飼育マウスと同じ程度に戻った。
以上の結果より、思春期の隔離飼育が、内側眼窩前頭皮質-扁桃体の神経伝達に影響して社会性の異常を引き起こすとともに、外側眼窩前頭皮質-扁桃体経路にも影響して受動的ストレス対処の変化をもたらすことが明らかとなった。
ヒト幼少期の成育環境がその後の抑うつ症状などにつながる仕組みの解明に資する結果
同研究の成果は、思春期の社会的な孤立によりマウスの眼窩前頭皮質-扁桃体回路においてシナプス伝達の異常が引き起こされ、成熟後に社会性の低下や受動的ストレス対処の増加を引き起こす一因となることを明らかにした最初の報告。この研究結果は、ヒトの幼少期における成育環境がその後の社会生活の困難さや抑うつ症状などを生じさせる仕組みの解明に資するもの。将来、医薬品やニューロモジュレーションによって眼窩前頭皮質-扁桃体回路の神経伝達に介入する技術を開発することができれば、新しい予防・治療法の開発につながるものと期待される、と研究グループは述べている。