中性条件で凝集したアミロイド凝集体の方が酸性条件より毒性が強いのはなぜか?
量子科学技術研究開発機構(量研)は1月17日、アルツハイマー病など神経変性疾患の原因とされているアミロイドタンパク質凝集体について、細胞への毒性の強さが異なる凝集体の間には、原子運動の大きさと速さに違いがあることを世界で初めて明らかにしたと発表した。この研究は、量研量子生命・医学部門量子生命科学研究所構造生物学研究グループの松尾龍人主幹研究員、ラウエ・ランジュヴァン研究所(フランス)のAlessio De Francesco博士、グルノーブル・アルプス大学(フランス)のJudith Peters教授らの共同研究グループによるもの。研究成果は、「Frontiers in Molecular Biosciences」に掲載されている。
画像はリリースより
アルツハイマー病や全身性アミロイドーシスなど、いわゆる「アミロイド病」では、その原因となるタンパク質が繊維状に凝集したアミロイド凝集体が、神経細胞やさまざまな臓器内へ沈着・蓄積することで発症へと至る。しかし、その発症メカニズムはまだ解明されていない。アミロイド病研究の代表的なモデルタンパク質である、ニワトリ由来のタンパク質「リゾチーム」を用いた過去の研究から、酸性条件で調製したアミロイド凝集体(以下、凝集体A)は分散して長い線維を形成し細胞毒性が弱いこと、中性条件で調製した凝集体(以下、凝集体N)は短い線維が塊を作り細胞毒性が強いことが知られていた。凝集体Nが短い線維であることは、凝集体Aよりも線維が折れやすく壊れやすい性質であることを示している。この現象を説明するために、「凝集体Nの運動が凝集体Aよりも激しい」という仮説が最近提案されていたが、その真偽は不明なままだった。凝集体の性質が最終的には細胞毒性の発現につながるため、この仮説の真偽を明らかにすることは、アミロイド病発症メカニズムの解明において重要な鍵になる。そこで研究グループは、この仮説を検証するため、凝集体Aと凝集体Nの運動の違いを原子レベルで明らかにすることを試みた。
最先端の装置でアミロイドタンパク質凝集体の動きを原子レベルで解析
細胞毒性が異なる凝集体が得られる酸性および中性条件で調製したリゾチームのアミロイド凝集体(凝集体Aおよび凝集体N)の運動を、中性子非弾性散乱法を用いて調べた。中性子は実験試料に含まれる水素原子に当たると散乱する。その散乱した中性子のエネルギーや速度を測定し解析することで、実験試料中の水素原子がどのように運動しているかを調べることができる。特にタンパク質では、その分子内に水素原子がほぼ均一に分布しているため、実験から得られる水素原子の動き(以下、原子運動)は、タンパク質分子全体に渡って平均化された動きを表す。中性子非弾性散乱には弾性非干渉性中性子散乱(EINS)と中性子準弾性散乱(QENS)があり、今回はこの両方の手法を用いた。EINSでは主に原子の運動の大きさを、QENSでは主に原子の運動の速さを解析することができる。中性子散乱実験は、世界最高性能の研究用原子炉を有するフランスのラウエ・ランジュヴァン研究所にあるIN13分光器で行った。
毒性の強い凝集体の方が大きく、速く運動していた
最初に、リゾチーム凝集体Aおよび凝集体Nを実験試料としてEINS実験を行い原子運動の大きさを調べた。得られたデータから、凝集体を構成する原子運動の大きさを解析したところ、凝集体Aと比べて凝集体Nの方が、大きく運動する原子が多く含まれており、逆に小さく運動する原子の数が少ないことがわかった。特に、凝集体Nでは約0.3~1.0オングストローム(1オングストロームは100億分の1メートル)の範囲の運動の大きさを持つ原子が増えていた。自然界に存在する最も小さな原子、水素原子の半径は約0.5オングストローム。この結果は、水素原子1個程度の運動の大きさの違いが、究極的には、異なる細胞毒性を示す凝集体の性質を作り出していることを示している。さらに、双方の凝集体間で、運動の大きさが異なる原子の数を見積もったところ、それは凝集体を構成する全原子の1割にも満たないことがわかった。
次に研究グループは、同じIN13分光器を用いて原子の運動の速さを解析できるQENS実験を行った。QENS実験で得られたデータを解析したところ、凝集体Nの原子は、凝集体Aの原子よりも約1.6倍速く動いていることがわかった。さらに、速く動く原子は、凝集体の内側ではなく外側に集まっている可能性が高いこともわかった。これは、凝集体が他の分子に結合したり相互作用したりするとき、直接関わる部分に原子運動の違いがあることを示している。
今回の研究で初めて、異なる細胞毒性を持つリゾチームアミロイド凝集体の間には、原子の運動の大きさおよび速さに違いがあることが明らかとなった。そこで、今回明らかになった知見を基に細胞毒性が異なる仕組みを考えると、以下のようになる。アミロイド凝集体が細胞毒性を引き起こす原因として、凝集体が細胞膜に結合し膜にダメージを与えるという現象がある。凝集体が細胞膜に結合するとき、凝集体は結合しようとする部位に適した形を取る必要がある。凝集体Nに比べて、凝集体Aの原子は運動の大きさも速さも制限されているため、その適した形に到達するまでに時間がかかる一方、原子が大きく速く運動する凝集体Nはいろいろな形を素早く取れるため、凝集体Aよりも素早く細胞膜結合に必要な形に到達できる。ここで、数多くの凝集体Aを含む細胞と数多くの凝集体Nを含む細胞を考えると、ある一定の時間内に、凝集体Nの方がより多く細胞膜へ結合することができる。その結果、後者の細胞では膜のダメージも起きやすくなり、最終的には細胞毒性が強くなると考えられる。
アルツハイマー病治療薬開発に、原子運動という新たな視点から寄与すると期待
今回、物質内の原子運動を調べる上で有力な方法である中性子非弾性散乱法を用いて、異なる強さの細胞毒性を示すリゾチームアミロイド凝集体の原子運動が、大きさおよび速さのいずれにおいても異なることを発見した。また特に、凝集体の性質に関する仮説を実証するとともに、強い細胞毒性を示す凝集体に特有の原子運動を明らかにすることができた。
細胞毒性の発現には、凝集体と細胞膜の結合という過程が関係している。研究グループは今回の研究について、「凝集体の原子運動について大きさおよび速さの両面が明らかになったことで、今後、より複雑な現象である凝集体と細胞膜の結合の仕組みを原子レベルで解明するための道が拓けた」とし、「これは細胞の毒性が決まるプロセス、ひいてはアミロイド病発症機構の全容解明につながる」としている。さらに、「今回の研究で明らかになった、アミロイド凝集体の特定の運動を変えるような新しい薬剤分子を設計・開発することで、アミロイド病の治療法確立に向けて、原子運動という全く新しい視点からアプローチすることが可能になると期待される」と、述べている。
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・量子科学技術研究開発機構 プレスリリース