先行研究でわかった「宇宙における代謝変化とNrf2の関係」を深堀り
東北大学は12月9日、さまざまなストレスから細胞を保護する転写因子「Nrf2」が、宇宙滞在時の生体維持に必要な代謝制御に重要な役割を果たしていることを明らかにしたと発表した。この研究は、同大東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)の宇留野晃准教授、三枝大輔客員准教授(ToMMo、現・帝京大学)、山本雅之教授(ToMMo・機構長)、および宇宙航空研究開発機構(JAXA)の芝大技術領域主幹らの研究グループによるもの。研究成果は、「Communications Biology」オンライン版に掲載されている。
画像はリリースより
宇宙放射線や微小重力などの宇宙環境由来ストレスに対する生体反応と応答制御のメカニズムを解明することは、今後発展が予想される長期の宇宙飛行・滞在における健康維持において重要だ。転写因子Nrf2は酸化ストレスを軽減するための酵素や、毒物を処理するための酵素の遺伝子の発現量を増加させ、生体防御の制御に貢献していることが知られている。
東北大学チームがJAXA「きぼう」利用フィジビリティスタディに応募・採択され、2018年から実施している第3回小動物飼育ミッションでは、国際宇宙ステーション(ISS)日本実験棟「きぼう」でNrf2遺伝子ノックアウトマウスを約1か月間飼育し、世界で初めて遺伝子ノックアウトマウスの宇宙滞在と全員の生存帰還に成功した。同成果をもとに、同チームでは、宇宙ストレスに対する生体応答・反応とそれを支えるNrf2の役割を詳細に解析した。その結果、宇宙滞在により白色脂肪細胞サイズが肥大化することを発見した。また、Nrf2遺伝子ノックアウトマウスでは、宇宙滞在による白色脂肪細胞サイズの変化が軽減した。これらのことから、宇宙における代謝変化についてNrf2が重要な役割をしていることを明らかにし、2020年に発表している。
宇宙前・滞在中・期間後マウスから採血しメタボローム解析、脂質代謝に大きな影響を確認
研究グループは今回、この研究をさらに発展させ、最新の質量分析手法を駆使して、血液と白色脂肪組織の代謝物濃度を網羅的に測定。さらに、次世代シークエンサーを用いたトランスクリプトーム手法により、白色脂肪組織や脂質代謝に重要な肝臓の遺伝子発現量の網羅的な解析を実施した。これらのデータを統合し、宇宙環境ストレスに対する生体応答の解明を進め、その制御メカニズムの理解を深めた。
具体的には、血液中の代謝物の解析のため、打ち上げ前・宇宙滞在中・地球帰還後の3回にわたり、同一マウスから反復して微量採血を行った。なお、宇宙滞在中のマウスからの採血は、世界初の試みだったという。採取した血液を用いて精密なメタボローム解析を行い、241代謝物の血中濃度を決定。その結果、宇宙滞在中の血液では、グリセロリン脂質やスフィンゴ脂質といったリン脂質や、コレステロールエステル濃度が上昇していた一方、地球帰還後の血液では、トリアシルグリセロール(中性脂肪)の濃度が低下していた。つまり、宇宙滞在は脂質代謝に大きな影響を及ぼしていることが明らかとなった。
Nrf2欠損マウスで、宇宙滞在時の脂質代謝変化にNrf2が重要であることを証明
また、組織のメタボローム解析を行ったところ、宇宙滞在により白色脂肪組織でトリアシルグリセロールが上昇していた。このように、血液と白色脂肪組織でトリアシルグリセロール濃度が逆相関を示したことから、白色脂肪組織が血中のトリアシルグリセロールの濃度低下に大きな影響を及ぼしていることが示された。
さらに、トランスクリプトーム解析による遺伝子発現量解析では、宇宙滞在により白色脂肪組織にトリグリセリドが貯蔵されるようになり、これによって血液中の濃度を低下させる遺伝子変化が起こっていた。一方、肝臓では血液中で脂質を輸送する仕組みであるリポタンパク質の構成成分の遺伝子発現量が、宇宙滞在により増加したことから、肝臓での遺伝子発現量の変化が、血液中のリン脂質濃度を上昇させる原因の一つとなっているものと考えられた。
転写因子Nrf2の遺伝子ノックアウトマウスについても宇宙滞在実験を実施。解析の結果、野生型マウスで認めた脂質プロフィールの変化や遺伝子発現量の変化は、転写因子Nrf2の遺伝子ノックアウトマウスでは、消失あるいは軽減していたという。以上のことから、Nrf2が宇宙滞在に応答した代謝変化に、重要な役割を果たしていることが明らかになったとしている。
今回の知見が「宇宙滞在における健康管理向上」に直接貢献することに期待
今回の研究成果により、宇宙滞在は生体の脂質代謝を大きく変化させることが明らかになった。宇宙滞在で変化したリン脂質は、血液中で脂質を輸送する仕組みであるリポタンパク質と呼ばれる粒子に多く含まれる。一方、トリアシルグリセロール(中性脂肪)は、脂肪細胞に貯蔵される脂肪滴の成分だ。これらの脂質代謝の変化は、宇宙環境に合わせた臓器間の栄養の運搬や、エネルギー貯蔵の調節に貢献しているものと考えられる。また、同研究から、転写因子Nrf2がその脂質代謝の変化に重要な役割を果たしていることが明らかになった。現在、世界中でNrf2を活性化させる薬剤の開発が進んでおり、その一部はすでに実用化されている。このため、これらの知見は、宇宙旅行・滞在における健康管理の向上への直接的な貢献のひとつとして期待される。
ToMMoとJAXAは、ウェブ上の宇宙生命科学統合バイオバンクibSLS(Integrated Biobank for Space Life Science)データベースで、ISSの「きぼう」実験棟で得られたマウスの成果を公開している。現在までに、第3回小動物飼育ミッションで得られた9つの組織で得られたトランスクリプトーム解析の結果や、第1~3回までの小動物飼育ミッションで得られた組織のサンプルシェアリング情報を検索できるようにデータベースを整備してきており、同成果は2020年に総説としてCell誌に掲載されている。
今回の代謝に関する成果発表に合わせ、第3回小動物飼育ミッションで得られた血液のメタボローム解析結果の検索機能も追加し、大幅な機能拡充を図り、近日公開予定だという。これにより、宇宙ミッションを実施していない多くの研究者でも、宇宙環境で引き起こる生体反応を、容易に解析することが可能となる。「今後も、宇宙と地上の研究をつなぐデータベースとして、これまでのフライトミッションデータの追加や機能の拡充を予定している」と、研究グループは述べている。
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