脳内レポーターに結合するイメージング薬剤を用いて回路の構造などをPETで画像化する技術を開発
量子科学技術研究開発機構(量研)は10月12日、神経回路の活動異常を正確に捉えることに加え、認知症病因物質蓄積の最初期を、生きている動物の脳において画像化できる技術を開発したと発表した。この研究は、量研量子生命・医学部門量子医科学研究所脳機能イメージング研究部の樋口真人部長兼グループリーダーと下條雅文主任研究員、米国スクリプス研究所、慶應義塾大学医学部内科学教室(神経)らの研究グループによるもの。研究成果は、「EMBO Journal」オンライン版に掲載されている。
画像はリリースより
ヒトの認知機能は、神経細胞により配線された特定の回路に情報が入力され適切に処理されることで成立しており、多くの神経疾患ではこのような回路に機能不全が生じることで、さまざまな臨床症状を呈することが知られている。例えばアルツハイマー病の場合には、異常な構造を持つ病因タンパク質が記憶に関わる回路に蓄積し、機能不全を引き起こすことで、新しい記憶を作ることができなくなり記憶障害を呈することが指摘されている。
こうした神経難病の診断法や治療薬剤を開発する上で、回路障害の全容を明らかにすることは重要だ。そのためには生きている動物脳の回路の形や状態を客観的に画像として把握できるようにし、さらには、治療薬などの介入による症状の変化を、着目する回路の状態と対応付けながら正確に評価する必要がある。しかし、脳組織の深い場所に位置する回路の構造のみならず、その活動状態や病因タンパク質の蓄積を動物の生体脳で可視化し、それらの画像情報を得ることは技術的に難しく、現在に至るまで実現されていなかった。
研究グループは今回、生体には通常存在しない「脳内レポーター」を脳組織の中で狙った回路にだけ目印として導入し、この脳内レポーターに結合してシグナルを発するイメージング薬剤を用いて、回路の構造や活動状態をポジトロン断層撮像法(PET)で画像化する新しい技術開発に取り組んだ。さらに同技術を活用し、これまで実現することが不可能だった回路障害の原因となるタンパク質の代謝異常などを見ることができるかについても評価した。
これまで実現不可能だった、生きているモデル動物の脳回路の活動状態をPETで画像評価することに成功
ウイルスベクターを用いて狙った回路の神経細胞に脳内レポーター遺伝子を導入すると、その細胞内で脳内レポーターが発現し、回路を伝って神経細胞の末端まで広がる。脳内レポーターに結合してシグナルを発するイメージング薬剤を投与すると、導入した細胞と末端に発現した脳内レポーターが可視化され、回路を画像化できる。そこで研究グループは、脳内レポーターに結合する化合物に蛍光物質を組み合わせた蛍光イメージング薬剤と、放射性同位体を組み合わせたPET薬剤を開発した。蛍光イメージング薬剤を用いれば、二光子顕微鏡で脳細胞を一細胞レベルの解像度で見ることができ、PET薬剤を用いればPET撮像により、脳を領域レベルの解像度で見ることができる。
そこで、マウスの大脳皮質と呼ばれる脳表面の領域に存在する神経細胞に脳内レポーターを発現させ、開発した2種類のイメージング薬剤を用いて、これら細胞から脳内に広がる回路構造を実際に画像として描出できるか確認した。その結果、頭蓋骨にガラス窓を付けて脳内を見えるように処置し、二光子顕微鏡による観察をしながら蛍光イメージング薬剤を投与したところ、脳内レポーターの目印が付いた脳表層にある細胞群を蛍光で個別に光らせ、ガラス窓から見える範囲内を可視化できることが確認された。さらに、放射性薬剤を投与してPET撮像を行ったところ、目印が付いた細胞群で構成される回路の全体を可視化できることが確認された。これにより、2種類のイメージング薬剤を使い分ければ脳内レポーターが発現している細胞が配線した回路であるという確実な裏付けを得ながら、回路全体をPETで可視化できるようになった。
続けて、開発したイメージング薬剤で回路の活動状態を可視化できるか調べた。マウス脳組織の深くに位置する海馬と呼ばれる脳領域に対し、神経細胞が活動した時だけ脳内レポーターが発現するように細工を施したウイルスベクターで脳内レポーター遺伝子を神経細胞へと導入し、薬剤を投与して回路を活性化させた。回路が活性化された後に脳内レポーターの合成が十分に誘導された状態でPET薬剤を投与しPET撮像を行った結果、回路の活動状態が増加している様子が画像として描出された。これらのことから、これまで実現不可能だった回路の活動状態をPETで画像評価することに成功した。
大脳皮質から視床への経路、線条体から中脳への経路を明瞭に画像描出することに成功
マウスなどの小動物は扱いが容易で多くの基礎研究に用いられているが、げっ歯類脳は霊長類脳と比較して小さく構造的に異なる点も多いことから、ヒトにより近いサルを用いた研究を行うことで非常に有益な情報が得られる。そこで研究グループは、小型霊長類コモンマーモセットを用いて、大脳皮質と線条体と呼ばれる脳領域のそれぞれの神経細胞に脳内レポーター遺伝子を導入し、これらの領域から他の領域へと延びていく回路の3次元的な構造をPETにより画像描出できるか否かを調べた。
その結果、これらの大脳皮質から視床と呼ばれる脳領域へと延びていく経路、そして線条体から中脳と呼ばれる脳領域へと延びていく経路が、それぞれ明瞭に画像描出できることが明らかとなった。また、同マーモセットから脳組織を摘出し、組織学的な方法で顕微鏡解析をしてみると、PET画像をよく裏付ける結果が得られたという。これらのことは、今回開発された技術を用いることで、ヒト脳の回路構造の理解にもつながる霊長類の回路を詳細に解析する強力なツールとなり得ることを示す結果だとしている。
回路内で集合体を形成していくタウ蓄積の最初期の過程を画像として捉えることが可能
アルツハイマー病をはじめとする認知症を呈する多くの神経変性疾患では、タウタンパク質と呼ばれる凝集性のタンパク質が集合体を形成して毒性をもち、回路に沈着することで回路の機能不全を生じると考えられている。このタウは、通常は1個の状態で存在し細胞活動に必要な役割を果たしており、役目を終えると細胞内で速やかに分解され取り除かれることが知られている。しかし、加齢に伴い徐々に細胞機能が低下してくると、だんだんと神経毒性を持つ集合体を形成し取り除かれなくなってしまい、これらが回路に沈着してさまざまな障害を引き起こすことが知られている。したがって、タウが集合体を形成していく過程をなるべく早い段階で正確に検出し、集合体を解きほぐす薬剤などを用いて回路に沈着することを未然に防ぐような方法を見出すことができれば、将来的に疾患の早期診断や新しい治療薬剤の開発に繋がる重要な道筋が開けると考えられる。
そこで研究グループは、今回開発した技術を応用してタウが集合体を形成していく過程をPETで画像化することが可能かについて調べた。まず、脳内レポーターの遺伝子情報を分割(仮にAとBとする)し、遺伝子AとBそれぞれに、細胞内で集合化する性質を持つタウ遺伝子を連結させた。さらに、細胞内に導入後に発現した脳内レポーター断片AとBが近寄るとつながって完成形に戻り、脳内レポーターとしての機能を回復する細工も遺伝子AとBに施した。イメージング薬剤は、発現した脳内レポーターAとBがそれぞれ断片の状態では結合できないが、発現したタウが集合化することにより、タウに連結した脳内レポーターの断片がつながって完成形に戻ると、再び結合できることが確認された。
そこで、この細工をした遺伝子をマウス大脳皮質の神経細胞に導入し、PET薬剤を用いてPET撮像した。その結果、タウが神経細胞内に沈着するより前の段階、つまり、回路内で集合体を形成していくタウ蓄積の最初期の過程を画像として捉えることができるようになった。したがって、一例ではあるが、同応用技術は、ヒト疾患脳の回路で認められる病因タンパク質の集合プロセスを再現しながらリアルタイムで可視化し、治療法開発などに活用できる強力なツールとなり得ることを意味していることが示唆された。
精神・神経疾患における回路障害解明とイメージングを基軸とした創薬研究への貢献に期待
今回の研究成果は、これまで難しかった「生きているモデル動物脳で回路のつながりや活動状態を画像情報として正確に捉える」ことを実現し、ヒト認知機能の理解と幅広い精神・神経疾患における回路障害の解明につながるとともに、イメージングを基軸とした創薬研究を強力に推進する大きなブレイクスルーになることが期待される。
また、同技術は霊長類に適用可能なことも確認できたことから、ヒト認知機能の理解や精神・神経疾患における回路障害の解明につながると考えられる。アルツハイマー病をはじめとする多くの神経変性疾患では、認知機能が低下するかなり早期段階において、回路機能に異常を生じていることが報告されている。また、原因がいまだ明らかとなっていない自閉症スペクトラム障害や精神疾患などにおいても、発達期における回路の形成不全やその成熟化異常を原因としていることも指摘されている。したがって、同研究で創出された技術を用いて、疾患モデル動物脳で観察される回路障害を正確に把握しながら治療介入の影響を評価することなどが可能となり、早期診断や新しい治療法開発に向け、大きな貢献が想定される。
蛍光イメージング分野などでは、緑色蛍光タンパク質に代表される有用な目印がこれまで数多く開発され、世界中で脳研究に活用されている。「今回開発された脳内レポーターを用いた技術は、量子イメージングの研究分野にこれまで存在しなかった汎用性の高い目印として活用できることが期待されており、今後改良を重ね、創意工夫を凝らすことを通じてさまざまな脳機能を画像描出する無限の可能性を秘めた研究プラットフォームとなり得ることも大いに期待される」と、研究グループは述べている。
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・量子科学技術研究開発機構 プレスリリース