転移なし胃がん/転移あり胃がん患者生体試料で、5万種以上の分子発現を網羅的に解析
名古屋大学は8月3日、転移のない胃がん患者と実際に転移を起こした胃がん患者からそれぞれ得た生体試料を用いて、腹膜播種転移、血行性転移、リンパ行性転移を起こした患者群の全ての群で受容体cholinergic receptor nicotinic beta 2 subunit(CHRNB2)が異常に高発現していることを発見し、ゲノム編集技術でこれを喪失させることで胃がん細胞の転移に必要な能力を低下させることを明らかにしたと発表した。この研究は、同大大学院医学系研究科消化器外科学の小寺泰弘教授、神田光郎講師の研究グループによるもの。研究成果は、「Oncogene」に掲載されている。
画像はリリースより
胃がんは、日本における年間罹患数(約13万人)、年間死亡者数(約5万人)ともに第3位と頻度が高く、特に転移や再発をきたし切除することのできない場合、その予後は非常に不良だ。この状況の中、胃がんに対し有効性が実証されている分子標的治療薬の種類は限られている。
抗がん剤治療の効果が少ない、あるいは治療中に抵抗性を獲得する胃がんの治療は難しいものとなっており、既存の抗がん剤とは作用メカニズムの異なる新しい治療法が渇望されている。そこで研究グループは、胃がん細胞の転移を促進する分子を発見し、これを阻害する新しいモノクローナル抗体医薬の開発を目指した。
今回の研究では、転移のない胃がん患者と実際に転移を起こした胃がん患者からそれぞれ得た生体試料を対象に、次世代シーケンサーを用いてほぼ全ての既知の遺伝子とそのスプライシング産物を対象に5万7,749種類の分子の網羅的遺伝子発現解析を実施した。
胃がん細胞CHRNB2ノックアウトで、転移に必要な遊走能・浸潤能が低下
網羅的遺伝子発現解析の結果、CHRNB2があらゆるタイプの転移を伴う胃がん組織中で異常高発現していることを発見した。胃がん細胞株を対象に、ゲノム編集技術を用いてCHRNB2を安定的にノックアウトしたところ、胃がん細胞の転移に重要な移動する能力(遊走能)と浸潤する能力(浸潤能)が低下した。
また、マウスの皮下に胃がん細胞を移植して、皮下腫瘍を作製。未処理の胃がん細胞を注入した場合、皮下腫瘍は時間経過とともに増大した。これと比較して、CHRNB2をノックアウトした胃がん細胞では皮下腫瘍が増大する程度が小さくなった。
これら以外にも、CHRNB2のノックアウトによって胃がん細胞の細胞増殖能、接着する能力(接着能)も低下。さらに、抗がん剤5-FUとシスプラチンの効果が、CHRNB2を喪失させることで上昇した。
抗CHRNB2モノクローナル抗体、マウス腹腔内投与で胃がん転移の進行を抑制
続いて、蛍光細胞染色法によってCHRNB2が胃がん細胞の細胞膜上に分布することを確認し、特異的抗体によってこれをブロックする方法を着想した。CHRNB2のアミノ酸配列から抗原性を予測して、抗体の標的部位をC末端側の細胞外領域に選定。抗CHRNB2モノクローナル抗体の抗原への親和性を測定したのち、特異的にCHRNB2と結合しているかについて、蛍光細胞染色法で確認した。このモノクローナル抗体を、がん細胞を腹腔内に移植したマウスに対して腹腔内投与することにより、胃がん転移の進行を抑制することができた。
作用メカニズムを明らかとするため、細胞内シグナルを解析。その結果、CHRNB2を阻害することでがんの悪性度に強く関与するPI3K-AKTシグナルやJAK-STATシグナルが不活性化していることが判明した。
CHRNB2は、アセチルコリン受容体ファミリーに属するが、重症筋無力症に関与する筋型のアセチルコリン受容体と異なり、神経型に分類される。そこで、CHRNB2を減弱することが生体においてどのような影響を与えうるのかを調べるため、CHRNB2ノックアウトマウスを特に神経系に着目して解析した。その結果、生殖、発育、臓器機能に異常がないことに加え、名古屋大学神経内科学の勝野雅央教授、井口洋平助教との共同解析により運動・認知機能にも異常がないことが明らかとなっており、この受容体を阻害することで臓器形成や神経系機能に重大な影響を与える危険性は低いと考えられた。
また、実際の胃がん症例で切除した組織に対して汎用性の高い免疫染色法を用いることで、明瞭にCHRNB2発現の有無が判定可能だったとしている。
CHRNB2高発現の大腸がん、肺がん、乳がんなどへの応用も目指す
胃がんは非常に多様性のあるがんとして知られており、既存の抗がん剤治療への反応不良もしくは抵抗性獲得が問題となっている。既存の全ての分子標的治療薬と全く異なる、新しい作用メカニズムからの分子標的治療開発を目指して発見したCHRNB2は、胃がんの転移形成に大きな役割を有する標的分子となる。その組織中発現が免疫染色法で判定可能であり、コンパニオン診断法として活用することで選別された対象に対して極めて効率的かつ有効な治療へとつながるとしている。
CHRNB2を阻害することで、主要ながん関連細胞内シグナルを不活性化できるため、がんパネル検査の結果を活用できる可能性もある。今後、ヒト化抗体の創製を進めていくとともに、将来的には胃がんのみならず、CHRNB2が高発現している大腸がん、肺がん、乳がん、膵がんなどの他のがんにも応用していくことを目指すとしている。
また、胃がんの主要な転移様式(腹膜転移と血行性転移)それぞれに特異性の強い責任分子も同定しており、これらに特化した効率的な阻害薬も創製することであらゆる角度から胃がんを制圧することを目標に創薬研究を継続していく、と研究グループは述べている。
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・名古屋大学 プレスリリース