膨大な数のウイルスゲノムを迅速に解析して結果を提供する体制は整備されていなかった
東京大学医科学研究所(以下、東大医科研)は6月8日、新型コロナウイルスの変異状況のモニタリングならびにウイルスの感染経路同定に活用できる「HGC SARS-CoV-2 Variant Browser」を開発し、システムの運用を開始したことを発表した。この研究は、東大医科研附属ヒトゲノム解析センター・センター長の井元清哉教授と日本アイ・ビー・エム株式会社らの研究グループによるもの。
画像はリリースより
新型コロナウイルスは、流行の長期化に伴い新規のゲノム変異を蓄積し、時に新たな性質を獲得した変異株となり、各国の感染症対策に大きな影響を与えてきた。一方で、このようなゲノム変異情報を活用することで、変異株よりも詳細なレベルで、感染者の新型コロナウイルスが「どのような変異を持ち」「いつどの国から流入し」「どのように感染してきたのか」などの情報を得ることができる。このウイルスゲノム情報は、変異株の拡大状況や懸念するべき新たな変異株の出現を把握するための重要な情報となる。
そのためには、迅速に膨大な数の感染者から取得したウイルスゲノム情報を解析する必要がある。例えば、データベースGISAIDには2021年5月現在、170万配列を超える新型コロナウイルスの配列が登録されている。しかし、このような膨大な数のウイルスゲノムを迅速に解析して結果を提供する体制は十分に整備できていなかった。特に、スポーツやコンサート、フェスティバルのようなマスギャザリングイベント(大規模集客イベント)については、COVID-19感染を拡大させる可能性から、対策の重要性がより増している。欧州では、イギリスやオランダなどにおいてマスギャザリングイベントを行いながら、そのリスクを評価する実証研究が進んでいる。また、日本においてもプロスポーツにおいて、感染リスクを評価しながらの実施が試みられている。
特に、プレイベントも始まっている東京オリンピック・パラリンピックが開催された場合には、国内の人流や海外から選手やスタッフ等の入国が増加することが想定される。また、ワクチン接種による社会活動の回復も人流の増加要因となる一方で、ワクチン回避株の出現も懸念されている。したがって、今後の変異株の状況把握は非常に重要となる。さらに、ウイルスゲノムの変異情報を用いることで、感染経路の把握にもつながる。感染経路が判明すれば、感染リスクが高い場所や行動の同定につながり、有効な対策の立案が可能となる。
国外からのウイルス流入時期や国内の感染経路を把握するための機能をIBMと協力して実装
そこで研究グループは今回、新型コロナウイルスのゲノム変異状況のモニタリングならびに、ゲノム変異レベルでのウイルスの感染経路を把握できるHGC SARS-CoV-2 Variant Browserを開発することで、前述のボトルネックとなっていた課題に対応し、情報提供を行うことができる研究体制の確立を目指した。
HGC SARS-CoV-2 Variant Browserは、IBMの基礎研究部門であるIBM ResearchがCOVID-19向けに開発してきたSARS-CoV-2 Variant Annotatorおよび、IBMでデジタル変革を推進するIBM Garageと開発し、公開したSARS-CoV-2 Variant Browserの技術をベースに開発を行い、東大医科研附属ヒトゲノム解析センターで運用を開始している。特に今回の取り組みでは、国外からの新型コロナウイルスの流入時期や国内の感染経路を把握するための新機能をIBMと協力して実装した。また、東大医科研附属ヒトゲノム解析センターでは、新型コロナウイルスをシークエンス解析した生データを、HGC SARS-CoV-2 Variant Browserで可視化できるよう解析するためのデータ解析パイプライン「HGC_CovidPipeLine」もあわせて公開。HGC SARS-CoV-2 Variant Browserを活用することで、下記のようなウイルスゲノム分析・変異株モニタリングを可能にしている。
感染者から採取した新型コロナウイルスが、過去に報告された新型コロナウイルスと比べて、どの時期に海外から国内に流入したのかを調べることができる。また、国内に流入した後に、どの地域で報告があったのかも確認をすることができるため、一部の地域に留まっているのか、他の地域でも広がっているのかを検討することができる。さらに、国内で新たな変異が発見された場合に、海外でこれまでに同様の報告があるのかどうかを調べることができる。変異での検索だけでなく、地域や時期などで検索をかけることができ、その検索条件にあった変異の状況を簡便に俯瞰できる。
今回のシステムの解析にあたり最も大切なのは、過去に登録された新型コロナウイルスのゲノムデータの活用だ。公開されているゲノムデータについは国によっても差があり、また、国内においても都道府県ごとに違いがある。こうしたそれぞれのデータの傾向を把握するために、同システムで活用している世界・日本の公開されている新型コロナウイルスゲノムの登録数や変異株などを一目でモニタリングできるビューアーも実装している。
新型コロナウイルスの基礎研究・感染拡大防止策の立案への貢献に期待
新型コロナウイルスは、今後も新たなゲノム変異を蓄積していくため、国内外でワクチン回避を起こす恐れのある変異株や、新たな動物感染を引き起こす変異株の出現が懸念される。研究グループは同取り組みを通じて、こうした課題に引き続き対応を進めていくとしている。また、より早く、懸念される変異を捉えるためにさまざまな団体や地方自治体などとも協力し、ゲノムデータ活用できる体制の整備を目指す。
東大医科研附属ヒトゲノム解析センターは「今回のシステムを、コロナ制圧タスクフォースにおいて収集する新型コロナウイルスゲノムの解析や、オリンピック・パラリンピックによる人流に起因するウイルス伝播のモニタリングに活用し、新型コロナウイルスの基礎研究ならびに感染拡大防止策の立案に貢献して行けると考えている」と述べた。IBMも、IT技術を活用した取り組みを通じて、引き続きCOVID-19への取り組みを継続する予定だとしている。
▼関連リンク
・東京大学医科学研究所 プレスリリース