中枢神経系の機能障害に起因すると考えられる幻肢痛や異所性疼痛を制御するには?
東京女子医科大学は5月10日、末梢神経を切断した病態モデルマウスを用いて研究を進めた結果、脳の免疫細胞であるミクログリアが、脳神経回路改編の誘導と疼痛の発現を制御することが判明したと発表した。この研究は、同大医学部生理学講座(神経生理学分野)の植田禎史助教と宮田麻理子教授の研究グループによるもの。研究成果は、「Cell Reports」オンライン版に掲載されている。
画像はリリースより
事故などで四肢の切断が生じた場合、あるいは、バイク事故などで腕の神経が切断される(引き抜き損傷)場合、失われた手足があるように感じ、そこに強い痛みを感じたり(幻肢痛)、損傷部位とは異なる身体部位に痛みを覚える異所性疼痛が引き起こされたりするが、これらは通常の鎮痛剤などが効かないことから難治性疼痛に分類され、現在でもまだ決定的な治療法が確立されていない。
これらの痛みは中枢神経系の機能障害に起因し、脳や脊髄で感覚を伝導する神経回路が改編され、感覚情報が混線するなど、情報処理に不具合が生じた結果引き起こされると考えられている。体性感覚の伝導路では、視床や大脳皮質といった脳領域に体部位再現または体部位局在と呼ばれる身体地図が形成されている。これまでの研究から、多様な動物モデルやヒト患者の視床や大脳皮質で、損傷を受けた部位からの入力を表現する領域が縮小し、損傷部位周辺からの入力を表現する領域が拡大するといった形で、脳内の身体地図が再構築されていることがわかっており、身体地図がより大幅に再構築されるほど痛みの強さ、あるいは、例えば感覚識別が損なわれるといった感覚障害の程度も大きくなる可能性が示唆されている。そのため、中枢神経回路の改編を誘導する機構を同定し、それを制御することが出来れば、幻肢痛や関連痛の根本的な抑制につながる可能性がある。
末梢神経損傷の場合、脳や脊髄は直接損傷を受けておらず、また損傷部位からも遠く離れているため、末梢神経の損傷がどのような機構を介して中枢神経回路の改編を誘導するのかはこれまでよくわかっていなかった。
回路の改編が生じる視床ではミクログリアの大きな変化は見られず
研究グループは今回、末梢神経を切断した病態モデルマウスのヒゲ体性感覚経路を用いて、脳内の視床という領域に特に着目し、視床回路の改編やそれに伴うマウスの疼痛応答を誘導する機構を調べた。視床回路の改編が誘導されるには末梢神経からの入力を遮断するだけでは不十分で、末梢神経自体が物理的に切断されることが必要となる。そこで、炎症によって賦活化する神経免疫系が重要でないかと考え、脳における免疫細胞であるミクログリアの働きに焦点を当てて研究を行った。
マウスのヒゲ感覚は末梢神経を介して、まず脳の脳幹という領域に入力する。脳幹のニューロンは次に、視床のニューロンへ情報を伝える。正常マウスではヒゲ情報を表現する脳幹領域(脳幹のヒゲ領域)から、同じくヒゲ情報を表現する視床領域(視床のヒゲ領域)へ神経結合があり、ヒゲ情報を正確に伝える回路が形成されている。一方、ヒゲ感覚神経を切断したマウスでは、視床ヒゲ領域のニューロンは、ヒゲ領域からの入力だけでなく、異所性の入力(ヒゲ以外の身体部位からの情報を運ぶ別の脳幹領域に由来)を受け取るような回路に改編され、視床回路に混線が生じることで感覚情報処理の不具合が生じる。
今回の研究では、ヒゲ感覚神経切断後、速やかに脳幹ヒゲ領域においてミクログリアの細胞密度が上昇し、活性化型に特徴的な大きな細胞体を持つ細胞が分布することが明らかになった。ミクログリアはニューロンに作用して神経回路形成を制御する働きが知られていることから、研究グループは回路の改編が生じる視床においてもミクログリアの変化が見られるのではないかと考えた。しかし、実際には視床におけるミクログリアには大きな変化はなかったという。
ミクログリアの活性化が脳の視床回路改編を誘導、除去すると異所性疼痛が消失
次に、ミクログリアが視床のヒゲ地図形成に関係するかを調べるため、抗悪性腫瘍薬の一種をヒゲ感覚神経切断マウスに経口投与することでミクログリアを脳全体から除去、あるいは脳幹または視床に限局して試薬を注入してミクログリアを除去した。その結果、脳全体からミクログリアを除去した場合および視床ではなく脳幹からミクログリアを除去した場合に、視床への異所性入力の侵入が見られなかった。この結果は、脳幹におけるミクログリアの働きが、末梢神経切断によって引き起こされる視床の身体地図の再構築に重要であることを示唆しているという。
脳幹のミクログリア活性化は、脳幹ニューロンの神経活動をより過興奮にする。ヒゲ感覚神経切断マウスで脳幹ニューロン限局的に神経活動を抑制すると、ミクログリアの細胞密度は上昇したが、視床回路の改編は阻止された。つまり、末梢神経の損傷による脳幹ミクログリアの活性化は脳幹ニューロンの神経活動性に影響し、それによって脳幹から視床への神経結合性を変えることで、末梢神経から遠く離れた脳の視床回路の改編を誘導する働きを持つことが明らかになった。
ヒゲ感覚神経切断マウスはヒゲの感覚は失われるが、ヒゲの周辺部位、例えば下顎に対して細いフィラメントを用いて機械的な刺激を与えると、異所性の感覚過敏が見られるようになる。感覚過敏は、通常は嫌がらない程の弱い機械刺激に対して逃避行動を示す、いわゆる疼痛応答の指標となる。しかし、ミクログリアを除去すると、この異所性疼痛は完全に見られなくなったという。
ミクログリアの特定機能のみの制御が可能になれば、幻肢痛や異所性疼痛の治療法開発につながる可能性
ミクログリアは中枢神経系のマクロファージと呼ばれるが、近年はがん、悪性腫瘍の治療法としてマクロファージを除去する試薬が着目を浴びており、中には抗悪性腫瘍薬として米国で承認されたものも出てきた。マクロファージを除去する薬剤は脳血管門を通過し、脳や脊髄内のミクログリアも除去する。そのため、今回の研究成果により、投薬によるミクログリア除去が、将来的な難治性疼痛に対する治療手段となり得る可能性が示唆されたと言える。一方、ミクログリアは脳の恒常性維持に働き、さまざまな場面、領域で脳機能の調節を担っているため、単純にミクログリアを除去することは深刻な副作用をもたらす可能性も十分に考えられる。ミクログリアは均一ではなく、異なる活性化状態・分子発現を持つ多様な細胞群から構成され、活性化状態によって異なる機能を持つ。
「今後さらに多くの研究が進み、ミクログリアの特定機能だけを制御できるようになることで、より現実的な幻肢痛や異所性疼痛の治療法の開発につながることが期待される」と、研究グループは述べている。
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