ストレスや不安などで生じる痛みの原因や治療法はいまだ確立されていない
東京慈恵会医科大学は3月18日、ストレスや不安・恐怖などの「こころの状態」に深く関係している「扁桃体」の活性化が、傷害や炎症のない部位に生じる痛みを引き起こすことを動物実験で証明したと発表した。この研究は、同大痛み脳科学センターの加藤総夫教授らの研究グループによるもの。研究成果は、国際疼痛学会の学術誌「Pain」にオンライン掲載されている。
画像はリリースより
日本を含む、先進国の成人の約20%が慢性的に続く痛み(慢性の痛み、慢性疼痛)に苦しんでいるといわれている。慢性疼痛は「3か月以上続く、または再発する痛みの訴え」(WHO)とされており、その中には、外傷や、神経の損傷などの明らかな原因があるものだけではなく、原因を明らかにできない痛みも多くあることが知られている。WHOは2018年、国際疾病分類第11版を発表し、その中で「慢性疼痛」という疾患を新たに定義。原因の明らかではない痛み「一次慢性疼痛」という疾患分類が記載されている。また、国際疼痛学会(IASP)の痛みの定義は「実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する、あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験」(日本疼痛学会訳)となっている。
このように、痛みは必ずしも組織損傷がなくても生じることがあり、さらに、外傷や機能障害などの原因がある場合でも、痛みのきっかけとなった原因とは関係なく、強まったり弱まったりすることもよく知られている。その因子の一つとして心理・社会的な要因が挙げられている。線維筋痛(症)もストレスなどが原因で症状が悪化する一次慢性疼痛の代表的な疾患・症候・病態だ。しかし、その生物学的な機構は明らかになっておらず、痛みの原因の診断やそれに特化した治療の開発は進んでいない。
一方、扁桃体には自分の身体や生存にとって不利な状況を分析し、それに対して適切に応答することを可能にする「防御的な生存」に関与している神経回路が備わっていると考えられている。また、扁桃体にはさまざまな部位の痛みの情報が神経連絡を介して集まっており、ストレスや警戒に関係しているホルモンや神経伝達物質に対する受容体がたくさんあることも知られている。そのため、痛みやストレスで生じる苦しさや不快感、切なさなどに関係していると考えられている。加藤教授の研究グループは、首から下の組織損傷の情報(侵害受容情報)を伝える脊髄や、首から上・頭部の侵害受容情報を伝える三叉神経からの信号を受ける脳内の腕傍核から扁桃体への情報の流れ(シナプス伝達)が、慢性痛のモデル動物で高まっている事実を発表している。
右脳の扁桃体中心核のニューロンの活性化で、外傷と離れた部位や損傷のない部分に痛みが起こる
今回研究グループが、顔面口唇部に炎症のあるモデル・ラットを作製し行動を観察していたところ、炎症がある顔から遠く離れた後ろ足の裏側に触られると、ヒトで痛みがある時によく似た、すばやく足を引っ込める行動を示したという。このように、痛みを生じない程度に軽く触れただけで痛みや、痛みのような反応が引き起こされる症状は、「触覚性痛覚過敏」と呼ばれ、しばしば損傷や炎症にともなって起こることがよく知られている。このモデル動物の足には一切病変がないにもかかわらず、このような足底の痛覚過敏が、顔面口唇部に炎症が起きてから2週間近く持続することも見出した。これらは、炎症のある顔から離れた足に生じ、また、炎症は顔面の右側にしかないにもかかわらず、両足で同じように過敏が生じることから、この現象は「異所性痛覚過敏」「広汎性痛覚過敏」の症状であると考えられた。
さらに研究グループは、このような顔面口唇部に炎症を持つ動物では、扁桃体、特に、右側の「扁桃体中心核」と呼ばれる部位の活動が高まっていることを発見。つまり、顔面の右側に炎症があっても左側に炎症があっても、右側の扁桃体が強く活性化することを見出した。
これらの観察結果から、この「異所性痛覚過敏」「広汎性痛覚過敏」の原因が、右側の扁桃体中心核の活動亢進にあるのではないかという仮説を立てた。独自に開発した「VGAT-cre」という遺伝子組換えラットにおいて、扁桃体中心核のニューロンを抑制するとこの広汎性痛覚過敏にどのような影響があるか調べるため、扁桃体中心核のニューロンに「人工受容体」を発現させた。これは人工的な物質によってのみ活性化する人工的に設計された受容体で「DREADD(ドレッド)法」と呼ばれている。この方法を用いて、顔面口唇部に炎症を持つラットの右脳の扁桃体中心核の興奮を選択的に抑えたところ、下肢に見られた広汎性痛覚過敏が両足ともに緩和する事実を見出した。
右脳の扁桃体中心核のニューロンの活動が、身体の広い範囲の痛みの感度を調整
研究グループは過去に、カルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)という神経ホルモンを持っていない動物では、炎症によって生じる痛覚過敏や扁桃体中心核の興奮が生じないという事実を報告している。これに注目し、顔面口唇部に炎症を持つラットの右脳の扁桃体中心核にCGRP受容体の遮断薬を投与したところ、下肢に見られた広汎性痛覚過敏が両足ともに抑えられたという。このことから、「顔面口唇部の炎症によって生じる右扁桃体中心核の活性化が、広汎性痛覚過敏を引き起こす」と結論付けた。
次に、炎症や傷害のない動物の右脳の扁桃体中心核ニューロンを興奮させると、それだけで痛覚過敏が生じるのではないかと考え、その仮説を検証するため、上述のDREADD法を用いて、右脳の扁桃体中心核のニューロンを人工的に興奮させると痛みの感受性がどのように変化するかを検討。すると、右脳の扁桃体中心核の興奮を高めている間だけ、左右両足に痛覚過敏が生じることがわかった。この変化は、人工的な興奮を繰り返すたびに生じたが、左の扁桃体中心核ニューロンの興奮では生じなかった。このことから、「右扁桃体中心核のニューロンの活動が、身体の広い範囲の痛みの感度を調整している」と結論付けた。これらの結果は、傷害や炎症に加え、ストレスや不安などの扁桃体中心核の活動を変化させる身体やこころの状態が、身体の広い範囲に痛みを生じさせたり、強く感じさせたり、弱めたりする可能性を示しているという。
心因性、原因不明とされている慢性の痛みに対する診断と治療法の開発に期待
扁桃体は、ストレスや不安・恐怖などの心理状態によって引き起こされるさまざまな身体の応答に関与している。扁桃体中心核の活動が全身の痛覚過敏を引き起こすことを示した今回の発見は、心理的・社会的な要因が引き金となって身体のさまざまな部位に痛みが生じるメカニズムを明らかにしたものと考えられる。
このメカニズムが明らかになったことで、既存の鎮痛薬での治療が難しいとされてきた、線維筋痛(症)、舌痛症、非特異的腰痛などの、痛みの原因を明らかにできない慢性の痛み、あるいは、脳内のメカニズムが不明であることから「心因性」「原因がわからない」などと診断されて的確な診療が難しかった慢性の痛みに対する診断と治療法の開発に新たな道を開くものとして期待されると、研究グループは述べている。
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・東京慈恵会医科大学 プレスリリース