脳の島回への刺激や切除が、なぜ興奮性の感情の認識に変化をもたらすのか?
慶應義塾大学は3月3日、脳腫瘍患者に対する摘出手術の前後に感情認識能力の検査を行い、この能力の低下が身体内部の状態変化を知覚できる能力(内受容感覚)の低下と関連していることを明らかにしたと発表した。この研究は、同大文学部心理学研究室の梅田聡教授、寺澤悠理准教授、名古屋大学大学院医学系研究科脳神経外科学の本村和也准教授らの研究グループによるもの。研究成果は、「Cortex」の電子版に掲載されている。
画像はリリースより
脳卒中や交通事故によって脳の構造に大きな変化が生じると、感情の感じ方やコントロールにもその変化がおよび、場合によっては人格の変容が生じる例も報告されている。意欲、発動性の低下や、感情の平板化などの症状が出る場合もあり、基盤となる脳と感情のメカニズムの解明は喫緊の課題となっている。このような背景に照らして、感情の機能と特に深く関連するいくつかの脳の領域が指摘されてきたが、いずれの研究でも、変化が生じた後の脳と行動を対象としているため、脳の変化がどの程度行動の変化に寄与しているのか、あるいは、個人による違いの原因は何であるのかなどの疑問は解明されていなかった。この問題を解決するためには、外科的手術の前と後に感情の機能を調べるテストを行い、その変化の対応関係を精査することが有益であるとは考えられるものの、術前の状況把握が困難なため、実現は難しい状況にあった。
心理学においては、主観的に感じられる、嬉しい、腹立たしいなどの感情は、心臓や肺といった内臓の活動や、自律神経系の活動と密接に関わっていると考えられている。研究グループは以前より、このような身体内部の変化の感覚(内受容感覚)の処理に関連する「島皮質(島回)」が感情にも深く関連していると考え、研究を行ってきた。2019年には脳外科手術中に目を覚ましてもらう覚醒下手術において、この領域を刺激すると怒りなどの興奮性の感情を感じやすくなる一方で、切除後にはこのような感情を感じづらくなるという研究報告を行っている。しかし、島回への刺激や切除が、なぜ興奮性の感情の認識に変化をもたらすのかという点については未解明だった。今回の研究では、この疑問点を解明するために、島回周辺の脳腫瘍摘出術の前と後で、感情の認識および内受容感覚の認識に関する検査を行い、摘出領域と行動の変化の対応関係を示した。
脳腫瘍手術後に感情を感じづらくなることは、自分自身の身体内部の状態を感じにくくなることに関係していた
研究では、島回周辺の腫瘍症例18例を対象として、摘出手術の前後に表情認識課題と内受容感覚の正確さの検査を実施。表情認識課題は、さまざまな強度で怒り、喜び、悲しみ、嫌悪のうちのいずれのかの感情を示す表情か、全く感情を示さない表情画像のうちの1枚を提示し、正解となる感情を認識できるかどうかを評価した。
内受容感覚の正確さを測る心拍知覚課題では、一定時間、実際の心拍数を心電図で計測し、その間に、本人が意識的に感じることができたと報告した心拍数の間の一致度合を評価した。両者が一致しているほど内受容感覚が正確である、一致度合が低いほど不正確であると評価した。
その結果、術後に怒りや喜びといった表情認識課題の成績が低下することと、内受容感覚の正確さが低下することの間に、統計的に有意な関連性があることが明らかになった。つまり、島回周辺領域の摘出によって、感情を感じづらくなることと、自分自身の身体内部の状態を感じにくくなることの間には、関係があることが示された。
言語や運動機能だけでなく、感情を体験する機能も温存できる覚醒下手術法の発展に期待
今回の研究成果により、島回が内受容感覚を介して、怒りや喜びといった興奮性の感情の体験を支えていることが示された。このことは、ドキドキやソワソワといった身体の感覚が豊かな感情を体験することに不可欠であり、島回周辺領域の外傷性の変化や加齢性の変化によって、感情の感じ方が変わる可能性も示唆している。言語や運動機能は、これまでも脳腫瘍摘出の際になるべくその機能を温存することに注意が向けられてきたが、感情についてはあまり重きが置かれていなかった。しかし、術後の感情認識能力の変化は、患者の日常生活や社会生活に広く影響を与えることは明らかだ。
「今後は脳腫瘍摘出の際に、言語、運動機能の温存だけでなく、身体内部感覚をベースとする感情を体験するための機能も温存しながら切除するという新たな覚醒下手術法の発展につながることが期待される」と、研究グループは述べている。
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