医療従事者の為の最新医療ニュースや様々な情報・ツールを提供する医療総合サイト

QLifePro > 医療ニュース > 医療 > トラウマ体験の記憶から「恐怖感」を消し去る分子スイッチを発見-東大ほか

トラウマ体験の記憶から「恐怖感」を消し去る分子スイッチを発見-東大ほか

読了時間:約 3分10秒
このエントリーをはてなブックマークに追加
2021年03月02日 AM11:45

恐怖記憶の再固定化と消去を決定する脳内メカニズムは?

東京大学は2月24日、トラウマ体験の記憶()から恐怖感を消し去る分子スイッチを発見したと発表した。この研究は、東京農業大学生命科学部の福島穂高助教、同大応用生命科学部の張 悦博士研究員(当時)、東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻の喜田 聡教授の研究グループによるもの。研究成果は、「The Journal of Neuroscience」に掲載されている。


画像はリリースより

トラウマ記憶は生死に関わるような体験の記憶であり、強いトラウマ記憶はPTSDの原因となる。恐怖記憶は動物からヒトに至るまで観察され、本来は危機回避のための本能行動である。この恐怖記憶は、トラウマ記憶の代表例であり、恐怖記憶のメカニズムには、ヒトと動物の間で相同性が観察される。そこで、恐怖記憶のメカニズムの解明はPTSDの理解、また、治療方法の開発に貢献できると考えられている。

恐怖記憶を思い出した後には、再固定化反応を経て恐怖記憶が維持または増強される。一方、恐怖記憶は一種の条件付け記憶であるため、記憶を思い出すだけでは恐怖を再び実体験するわけでないので、恐怖感は薄れていく。例えば、車にひかれそうになった場所に行って、この体験を思い出すと恐くなるが、再び恐い思いをしない限りは、恐怖感は弱まっていくというようなことがあげられる。心理学的に、この反応は記憶消去と呼ばれている。このように、恐怖記憶を思い出した後には、恐怖感を正負に制御する相反するプロセス(再固定化と消去)が誘導される。

研究グループはこれまで、恐怖記憶の再固定化と消去のメカニズムの解明を進め、恐怖記憶を想起する時間が短ければ再固定化、長くなると消去が誘導され、再固定化と消去は独立したプロセスではないことを明らかにしてきた。さらに、再固定化と消去を制御する脳領域が異なること、また、再固定化と消去の分子機構の共通性と特異性を示してきた。しかし、恐怖記憶が思い出された後に恐怖記憶の恐怖感を残したままにするのか、あるいは、記憶から恐怖感を消し去るかを決定する脳内メカニズムは不明だった。そこで今回、恐怖記憶想起後に再固定化から消去に切り替わるメカニズムの解明を試みた。

恐怖感消去の分子スイッチはERK、海馬・扁桃体・前頭前野の神経細胞で活性化

実験には、受動的回避反応課題を用いた。この課題は、明箱と暗箱との2つに分かれた箱を用いて行う。最初はマウスを明箱に入れ、明箱から暗箱に移動すると電気ショックを受けて、暗箱に対する恐怖記憶が形成される。この後、マウスを再び明箱に入れると、恐怖記憶が想起されるものの、マウスが暗箱に再び入っても電気ショックが与えられない(暗箱は安全である)ことを学習しない限り、消去は誘導され得ない。研究グループは、この課題を用いれば、明箱では再固定化が誘導され、暗箱では消去が誘導されるため、再固定化と消去を区別して解析できると考えた。

同研究における解析から、明箱にだけ滞在させて恐怖記憶を思い出させると再固定化が誘導された。一方、暗箱に移動してから10分間暗箱に滞在させると消去が誘導されるのに対して、暗箱に移動してから1分間だけ暗箱に滞在させると再固定化も消去も起こらないことが示された。さらに、明箱にだけ滞在させると海馬、扁桃体、前頭前野で神経活動依存的遺伝子発現が観察されるものの、暗箱で1分間滞在させるだけで、これらの遺伝子発現がキャンセルされた。しかし、暗箱に10分間滞在させると再び遺伝子発現が起こり始めることが明らかになった。これらの結果から、再固定化から消去に移行する過程で、再固定化をキャンセルし、消去を開始させる「切り替え反応」の存在が示唆された。

そこで、明箱から移動した後に暗箱で1分間滞在した後に起こる分子レベルの変化を解析したところ、細胞外シグナル制御キナーゼ(extracellular signal-regulated kinase; )のリン酸化が引き起こされていることを突き止めた。さらに重要な点として、海馬、扁桃体、前頭前野におけるERKの活性化をERK阻害剤の微量注入により抑制したところ、再固定化が再び誘導されるようになることが観察された。つまり、ERKの活性化を通じて再固定がリセットされることが示唆された。したがって、このERKが分子スイッチとして働き、再固定化をリセットし、消去を開始させることが強く示唆された。

ERKの調節で、PTSDの症状を改善できる可能性

これらの解析結果は、脳において、再固定化から消去への切り替えを動的に調節するメカニズムが存在することを示唆している。簡単に言えば、恐怖記憶を思い出し、まだ恐怖を感じる必要があれば再固定化を誘導して恐怖を保持させるが、恐怖を感じる必要がなくなってきた場合には再固定化を停止して、消去を開始させて(恐怖を感じる必要がないことを)安全学習させていると考えられた。

ERKの働きにより消去が起こりやすくなると考えられるため、この分子スイッチを調節することでトラウマ記憶の消去を促進する方法を開発すれば、PTSDの治療方法開発に貢献できると考えられる、と研究グループは述べている。

このエントリーをはてなブックマークに追加
 

同じカテゴリーの記事 医療

  • 前立腺がん、治療決定時SDMが患者の治療後「後悔」低減に関連-北大
  • 糖尿病管理に有効な「唾液グリコアルブミン検査法」を確立-東大病院ほか
  • 3年後の牛乳アレルギー耐性獲得率を予測するモデルを開発-成育医療センター
  • 小児急性リンパ性白血病の標準治療確立、臨床試験で最高水準の生存率-東大ほか
  • HPSの人はストレスを感じやすいが、周囲と「協調」して仕事ができると判明-阪大