デジタル化の普及は、学童期の漢字の読み書き、成人期の文章能力に影響?
京都大学は1月27日、漢字の手書き習得が高度な言語能力の発達に影響を与えることを発見し、学童期の読み書き習得(特に手書きの習得)から老年期の認知能力維持に至る生涯軌道に関する理論的フレームワークを提唱したと発表した。これは、同大大学院医学研究科の大塚貞男特定助教、村井俊哉教授の研究グループによるもの。研究成果は、「Scientific Reports」に掲載されている。
画像はリリースより
日本の子どもの6~7%程度が、漢字の習得に困難を抱えていることが報告されている。そうした子どもへの効果的な教育ストラテジーを開発するためには、つまずきの背景にある基礎的な認知能力の問題や、それを補う認知能力を特定することが役に立つと考えられる。
研究グループは過去に漢検の受検データベースを分析し、漢字能力が読字、書字、意味理解の3側面から成ること、2006年と2016年の受検データを比較した結果、10年間で成人の書字能力のみ低下が示唆されたことを明らかにしている。また、これまでの研究で、漢字の読字・書字と認知能力との関連は調べられていたが、意味理解についてはわかっていなかった。近年、スマートフォンやタブレットなどのデジタルデバイスが急速に普及し、文字を手書きする頻度は大幅に減少。こうした生活環境の変化は漢字の書字能力に影響を及ぼすことが予測される。最近では、学校教育にもデジタルデバイスの導入が進められており、学童期における漢字書字の習得、さらには、成人期までに獲得される高度な言語能力への影響が懸念される。
そこで今回の研究では、漢字能力の3側面とその基盤にある認知能力との関係性、および大学生の漢字能力の3側面と高度な言語能力との関係性を検討した。
大学院生対象に漢検の過去問、文章作成の課題などを実施
京都と大阪の複数の大学から募集した大学院生30人(平均年齢19.87歳、女性15人、男性15人)を対象に研究を実施。漢字の読字、書字、意味理解の能力は、2016年の漢検検定問題を用いて測定した。基礎的な認知能力については、音韻処理(言語音の情報を処理する能力)、呼称速度(記号や文字などを素早く正確に読み上げる能力)、視空間処理(図など視覚的情報を処理する能力)、統語処理(文法的情報を処理する能力)の4つを心理検査で測定した。
また、高度な言語能力については、言語的知識の習得度と文章作成能力の2つで測定。言語的知識の習得度は、ウェクスラー式成人知能検査の語彙力、一般教養、算数能力を測る検査項目を用いて得点化。文章作成能力は、対象者がパソコンを使って書いた「日々の生活」に関する作文を分析し、意味密度(文章の言語的な複雑さを得点化した指標)で得点化した。
漢字の読み・書き・意味理解のどれが苦手かを考慮した指導法が必要
統計解析の結果、漢字の読み、書き、意味理解のそれぞれの習得に部分的に異なる複数の認知能力が関わっていることが発見された。具体的には、音韻処理が3側面の習得に共通して関連する一方、他の3つの認知能力は、読字には呼称速度と統語処理、書字には視空間処理、意味理解には統語処理といった形で側面特異的に関わっていることがわかった。
このことから、漢字習得に困難を抱える子どもたちに同じ指導方法を適用することは効果的とはいえず、習得が難しい漢字能力の側面とその要因(苦手な認知能力)を考慮した教育ストラテジーが必要であることが示唆された。
成人期の高度な言語能力は、老年期の認知能力維持に関連
また、漢字能力の3側面の中で書字能力だけが、言語的知識の習得を介して文章作成能力に影響を及ぼすことが発見された。読字、書字、意味理解のいずれもが言語的知識の習得度に強く影響していたが、文章作成能力との関連性が確認されたのは書字能力だけだった。この成果は、小学校から高校までの間に漢字の手書きを十分に習得することが、その後の高度な言語能力の発達にとって重要であることを示唆している。
また、文章作成能力の指標として採用した「意味密度」は、修道女(=ナン)の認知能力の長期経過を分析したナン・スタディと呼ばれる一連の研究で用いられたもの。ナン・スタディでは、20代前半に書いた日記や自伝の「意味密度」が高かった人は、老年期における認知予備能」が高く、アルツハイマー病による脳の病変が進んでいた場合でも、晩年まで健全な認知能力を維持していたことが報告されている。
そうした知見を考慮し、研究グループは、学童期の読み書き習得(特に手書きの習得)から成人期の高度な言語能力(意味密度など)の発達を通して認知予備能を高め、老年期の認知能力維持に至る生涯軌道に関する理論的フレームワークを提唱した。
漢字学習による脳神経ネットワークへの影響の検証が今後の課題
今回の研究成果は、早期のデジタルデバイスの利用が漢字の手書き習得に抑制的な影響を及ぼした場合、その影響は手書きを必要としないさまざまな言語・認知能力の発達にまで及ぶ可能性を示唆している。学校教育、特に読み書き教育におけるデジタルデバイスの導入については、その是非や適切な利用方法などを注意深く議論していく必要があると考えられる。
「今後、対象者に漢字学習をしてもらい、言語・認知能力やそれらの基盤にある脳神経ネットワークなどにどのような効果を及ぼすのかを検証することが課題となる。児童、成人、高齢者といったさまざまな年齢層を対象に、漢字の読み、書き、意味理解のそれぞれの習得に着目した学習の効果を検証することによって、漢字の習得に困難を抱える子どもへの教育ストラテジーの開発や認知症予防などに役立つ知見が得られることが期待される」と、研究グループは述べている。
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