情報科学の観点から、人間の身体認知のメカニズムを解明
東北大学は1月12日、バーチャルリアリティ技術を用いて、見ている手に対して「身体所有感」はあるが「運動主体感」がない状態や、その逆の状態を人工的に創り出す手法を開発し、「運動主体感」だけが運動能力の向上に関わることを世界で初めて明らかにしたと発表した。この研究は、同大大学院情報科学研究科の松宮一道教授によるもの。研究成果は、「Scientific Reports」オンライン版に掲載されている。
画像はリリースより
社会の高齢化に伴い、加齢による運動機能障害や脳卒中による運動麻痺を有する患者の急増は、現代社会が抱える課題となっている。特に従来のリハビリテーションでは、治療的介入により運動機能が向上しても、その向上効果が持続しないことが多く、これが運動機能障害を有する高齢者の社会復帰を阻む要因となっている。運動機能障害を克服する有効な手段を講じることは、高齢者のQOLを向上させるために緊急に対応すべき重要課題だ。
今回の研究は、情報科学の観点から人間の身体認知のメカニズムを解明して、運動機能障害や心理的発達障害などの治療に役立てることを目標としたもの。運動機能障害を有する患者は、心の中で感じている自分の手や足に異常が生じており、この「心の中の身体」の回復が運動機能障害を克服する鍵を握っている。現在のリハビリテーションでは、この「心の中の身体」の回復を考慮しないため、リハビリテーションの効果が治療的介入では持続しないと考えられている。たとえ障害を患った身体部位が治療的介入で動くようになっても、「心の中の身体」が回復していないと、しばらくして再びその身体部位は動かなくなる。また、近年では、リハビリテーションの効果向上のために、身体所有感の人工的操作技術の適用が注目されているが、身体所有感が本当に運動能力の向上に関与するかは不明だった。
「運動主体感はあるが身体所有感がない」という条件の場合のみ、運動能力が向上
研究では被験者自身の手は見えないようにし、その代わりにコンピュータグラフィックスにより作成された手(CGハンド)を提示。CGハンドを自分の手と感じる「身体所有感」と、自分がCGハンドを動かしていると感じる「運動主体感」を、CGハンドに対して独立に制御できる実験環境を構築し、CGハンドに対して、(1)「身体所有感」はあるが「運動主体感」がない条件、(2)「運動主体感」はあるが「身体所有感」がない条件を創出した。具体的には、条件(1)では、動いているCGハンドを観察すると、CGハンドを自分の手だと感じるが、そのCGハンドを自分は動かしていないと感じる。一方、条件(2)では、CGハンドを自分の手だと感じないが、そのCGハンドを自分が動かしていると感じる。もし身体所有感が運動能力に影響を与えるならば、条件(1)で運動能力への効果が現れるはずだ。また、運動主体感が運動能力に影響を与えているならば、条件(2)で運動能力への効果が現れるはずだ。
これら2つの条件において、身体所有感と運動主体感が運動能力の指標である目と手の協調運動にどのような影響を与えるかを調べたところ、条件(2)においてのみ、運動能力が向上した。これらの結果より、身体所有感ではなく、運動主体感が運動能力の改善に寄与することが明らかになった。
義手や義足などの運動制御を改善する方法として、運動主体感の人工的操作が有効である可能性
今回の研究成果は、自己身体の気付きである「身体所有感」と「運動主体感」のうち、「運動主体感」だけが運動能力の改善に寄与することを初めて明らかにしたもので、運動機能回復のためのリハビリテーションに重要な役割を果たしている身体認知のメカニズムを理解する上で重要な発見と言える。
この発見は、運動機能障害を有する患者の麻痺した身体の運動能力や、事故などにより身体の一部を失った患者が装着する義手や義足などの運動制御を改善するための効果的な方法として、運動主体感の人工的操作が有効であることを示しており、運動機能回復のリハビリテーションに新たな道を開くことが期待される。
リハビリテーションの現場では、患者の麻痺した身体の動きを回復するために、患者自身が患者の麻痺肢に意識を集中しながら、その麻痺肢を動かそうと努力することで徐々に動くようになる。これまで、この麻痺肢に向ける身体意識とは何なのかが明らかになっていなかったが、同研究により、その身体意識の正体は、運動主体感であることがわかった。「麻痺肢の物理的な動きに伴って、その麻痺肢に対して運動主体感を強く感じるようにできれば、より早く麻痺肢の運動機能を回復できることが期待される」と、研究グループは述べている。
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