未経験の報酬を待っている時に、脳で何が起こっているのか?
慶應義塾大学は12月2日、ヒト脳の前頭前野が経験したことのない未来の好ましい出来事の期待に関連しており、その機構は、自身の経験に基づいて自制心の強い意思決定を形成する個人ほど増強されていることを発見したと発表した。この研究は、同大理工学部生命情報学科の田中大輝大学院生(研究当時)と地村弘二准教授と、高知工科大学の中原潔教授、竹田真己特任教授、青木隆太助教(研究当時)、メルボルン大学の鈴木真介准教授との共同研究によるもの。研究成果は、「The Journal of Neuroscience」に掲載されている。
画像はリリースより
「今、5,000円または1年後1万円をもらえるなら、どちらを選ぶか」という問題は、すぐ得られる少量の報酬か、待つことが必要な多量の報酬のどちらを好むかという問題として扱われており、行動経済学では異時的選択と呼ばれている。前者を好むことは衝動的、後者を好むことは自制(自己制御)的であると理解されており、自己制御が強いと、報酬の獲得を長期的に最大化できると考えられている。衝動と自己制御は、報酬に対する個々人の選択傾向を反映しているだけでなく、薬物やアルコールなどの依存症とも関連していることが知られている。
異時的選択は、ヒトだけでなく、非ヒト動物でも研究されてきた。これまでのヒトの実験では、仮想的な状況で、お金を報酬としてきた一方で、非ヒト動物の実験では、食べ物や飲み物を報酬とし、待つことも報酬を消費する(食べる・飲む)ことも、実環境が用いられてきた。そして、非ヒト動物の実験では、選択の好みが実験中の直接の経験を通じて形成される一方で、ヒトの実験では選択の好みが実験前に形成されていることが前提となっていた。これらの実験手続きの違いは、衝動と自己制御を研究する上での制約となっていた。とりわけヒトにおいては、選択の好みがどのように形成されるか、未経験の報酬を待っている時に何が起こっているのかが不明だった。
非ヒト動物で用いられている異時的選択の実験手続きをヒトに適用
研究グループは今回、非ヒト動物で用いられている異時的選択の実験手続きをヒトに適用。そして、経験したことがない報酬を待って消費するときの脳活動を、機能的MRIにより断続的に撮像した。
機能的MRI撮像中、ヒト被験者は、まず、数十秒経ってから飲むことができるジュースの報酬(遅延報酬)を経験。次に、それよりも量が少ないすぐ飲める報酬(即時報酬)を経験した。最後に、両者のどちらか好きな方を選ぶことが求められた。ここで重要なことは、最初に遅延報酬を経験するとき、その報酬は未経験なので、被験者はいつ飲めるのかわかっていないことだ。そして、未経験の報酬を待っているときの期待の度合いを説明するために、行動経済学の理論に基づき「予期効用」というモデルを用いた。予期効用は「待っていること自体の楽しさ」を反映していると考えられる。
将来の期待を反映する前頭前野の活動は、自制心の強い選択が形成される個人ほど大きかった
報酬を待っているときに予期効用を反映しているような脳領域を探索したところ、前頭前野の1番前にある頭極部が発見された。さらに、前頭前野の予期効用を反映した脳活動は、自己制御の強い選択(すぐ得られる少量の報酬よりも、待つことが必要な多量の報酬を好む傾向)が形成される被験者ほど大きくなっていた。一方で、報酬を消費している(ジュースを飲んでいる)とき、脳の深部にある腹側線条体の活動が大きいと、その後に少量のすぐ得られる報酬が選択される(衝動的になる)ことがわかった。そして、報酬を待っているとき、腹側線条体の活動は前頭前野から抑制的な調節を受け、その調節は自己制御の強い被験者ほど強くなっていた。
これらの結果は、経験したことがない好ましい出来事を期待しているとき、期待を反映している前頭前野の活動が大きいと、長期的に最適な自己制御の強い選択傾向が形成されることを示唆している。そして、その期待に関連する前頭前野の信号は進化的に古く、ヒトでは衝動性に関連しているとされる腹側線条体の活動を抑制することを示唆しているという。前頭前野の頭極部は、異時的選択をする多様な動物種の中で、ヒトにおいて最も発達している。その脳領域で「いつ起こるかわからない楽しいことを期待する」機能が観察されたことは、ヒトらしさを例示しているのではないかと考えられる。さらに、楽しい未来を期待し、自分の経験に基づいて自制心のある選択を形成する前頭前野機能の理解が、薬物・アルコール依存症などの精神疾患の解明のきっかけになることが期待される。
二日酔いや肥満の原因となるような脳機構を、衝動性と関連づけて解明することを目指す
今回の研究成果により、ヒトを含めた動物種間で異時的選択に関わる脳機能を直接比較できるようになった。
「脳機能計測の自由度が高い非ヒト動物と比較することで、明るい未来を期待するようなヒトらしさを理解できないかと考えている。また、直接消費可能な報酬としてアルコール飲料や食べ物を使うことによって、二日酔いや肥満の原因となるような脳機構を、衝動性と関連づけて解明できないか考えている」と、研究グループは述べている。
▼関連リンク
・慶應大学 プレスリリース