ATPを細胞レベルで時間的・空間的変動を可視化・モニタリングすることは技術的に困難だった
京都大学は10月14日、細胞内アデノシン三リン酸(ATP)濃度を可視化するFRETバイオセンサーを全身発現させたATP可視化マウスを作製し、世界で初めて生体腎の時間的・空間的ATP動態を高精度かつリアルタイムに捉えることに成功したと発表した。これは、同大大学院医学研究科腎臓内科学の柳田素子教授(兼:高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(ASHBi)主任研究者)、山本正道同准教授、山本伸也同医員らの研究グループによるもの。研究成果は、国際学術誌「Journal of the American Society of Nephrology」にオンライン掲載されている。
画像はリリースより
腎臓の機能が急激に低下する病態を急性腎障害(Acute Kidney Injury:AKI)と呼び、入院患者の数パーセントが罹患する。従来、急性腎障害は治る病気と考えられてきたが、近年の疫学研究により、回復する場合と回復せずに慢性腎臓病や末期腎不全に陥る場合があることが明らかになってきた。
腎臓の機能単位であるネフロンは、血液を濾過する「糸球体」と、糸球体で濾過された原尿中の成分を取捨選択する「尿細管」で構成されるが、尿細管の中でも糸球体に近い「近位尿細管」は、急性腎障害で最も障害を受ける部位とされている。研究グループはこれまで、近位尿細管の障害が短期的には急性腎障害を、長期的には慢性腎臓病や末期腎不全を惹起することを報告してきたが、何が近位尿細管障害の回復と非回復(腎予後)を決めるのかは明らかになっていなかった。
ATPに蓄えられたエネルギーは生体内のさまざまな組織の活動に不可欠であり、細胞内ATP濃度はその活動に直接影響を与える。ATPの動態は極めて重要だが、これまで生体内のATPを可視化する技術がなかったため、その詳細は謎に包まれていた。前述の近位尿細管は、糸球体を濾過された糖やアミノ酸や電解質などの溶質を再吸収する重要な役割を担っているが、その再吸収はATP依存性に行われることから、極めてATP要求性が高い部位だ。研究グループはこの点に着目し、「近位尿細管におけるエネルギー動態が、その障害からの回復・非回復を決定している」という仮説を立てた。しかし、これまで生体腎において、ATPを細胞レベルで時間的・空間的変動を可視化し、モニタリングすることは技術的に困難であり、仮説の証明の大きな壁となっていた。
ATP可視化マウスを観察、慢性期の線維化領域面積が急性期の近位尿細管ATP回復と強い負の相関にあると判明
研究グループはまず、細胞内ATP濃度を可視化するFRETバイオセンサーを全身発現させたATP可視化マウスを作製し、二光子顕微鏡で観察することで、生体腎の時間的・空間的ATP変動を高解像度かつリアルタイムに捉えることに成功した。
次に、腎臓の機能部位ごとのATP評価系を確立し、AKIモデルである虚血再灌流モデル(虚血:15分、30分、60分)の細胞内ATP変動を平温(体温36度、腎表面36度)、または低温(体温33度、腎表面24度)条件下で解析。最後に、慢性腎臓病の重症度を反映する線維化領域面積と急性期ATP回復との相関を検証した。
腎虚血とともに近位尿細管のATPは数分で速やかに低下する一方、遠位尿細管のATP低下は非常に緩徐であり、30分後でも比較的保たれていた。さらに、ネフロンセグメントによりATP動態の挙動が全く異なることがわかった。
また、再灌流後には近位尿細管のATPは回復したが、その回復速度と回復率は虚血時間によって大きく異なり、長時間虚血後の回復速度は遅く、不完全であることが判明。低温条件下の虚血では、平温条件下と比べて、近位尿細管のATP回復が著明に改善した。低温条件下60分の虚血時間では、平温条件下30分よりATP回復が良好であり、虚血時間を2倍にしても、なおATP回復が良好であることがわかった。また、慢性期の線維化領域面積は、急性期の近位尿細管ATP回復と強い負の相関を認めたという。
AKI治療薬開発や移植臓器保護の技術向上のみならず、多臓器への応用にも期待
今回成功したATP可視化技術を用いたAKIにおけるATP動態の時間的・空間的解析は、世界初となる。さらに、AKI急性期の近位尿細管のATP回復が急性期の障害度を反映するだけではなく、腎予後をも決定する可能性があることが示され、エネルギー代謝の恒常性破綻が急性腎障害からの回復、非回復と密接に関連することが明らかになった。加えて、低温条件下の虚血では平温条件下に比して、ATPの回復が著明に改善することを証明し、低温療法の理論的根拠を見出した。
研究グループは、研究で開発された新しいATP可視化技術を用いて、虚血再灌流AKIモデルだけでなく、さまざまな腎障害モデルでATP動態の観察・解析を進める予定。このATP可視化技術は、腎臓におけるエネルギー代謝を解析する技術としてのブレークスルーとなり、腎障害とその修復のメカニズムを新しい切り口から解明することを可能にするとともに、将来的にAKI治療薬開発や移植臓器保護の技術向上につながることが期待される。また、脳や心臓といった臓器でも、ATPは恒常的に消費されており、同技術の他臓器への応用も比較的容易にできると考えられる。さらに、従来のメタボローム解析や質量分析イメージングといった代謝解析法と相互補完することで、ATP不足が病因となるミトコンドリア関連疾患に対する創薬や老化研究領域のエネルギー代謝解析においても今後、重要なツールとなることが期待される。「本研究の成果を今後発展させることで腎臓病、ミトコンドリア関連疾患、老化領域の研究に役立てていきたい」と、研究グループは述べている。
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・京都大学 研究成果