神経細胞群「運動モジュール」はカエルで発見、霊長類では未発見
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)は10月13日、自由自在な動きが特徴の霊長類の手や腕が、脊髄にある多機能な運動細胞群によってコントロールされていることを発見したと発表した。この研究は、NCNP神経研究所、モデル動物開発研究部のAmit Yaron研究員、David Kowalski訪問研究員、関和彦部長、京都大学白眉センター・医学研究科の武井智彦特定准教授らの研究グループによるもの。研究成果は、米国科学アカデミー紀要「PNAS」のオンライン版に掲載されている。
画像はリリースより
日常生活において、腕の働きは驚くほど多様だ。ヒトの神経系は右や左、近くや遠くなど、さまざまな運動の方向と大きさの組み合わせによって、この多様な腕運動を作り出していると考えられる。しかし、このように多様な運動の方向と運動の大きさの制御が行われる神経メカニズムは長年脳科学における謎であり、いくつかの仮説が提唱されているが、現在も解明されていない。
その仮説の1つが、運動モジュール仮説だ。これは、神経系には運動の方向(筋活動の組み合わせ)を表現する神経細胞群(モジュール)が少数存在し、脳はそれらをいろんな割合で組み合わせて使うことによって、多様な動きの方向や大きさを作り出しているという考え。この考えを用いると、複雑なロボットの動きが少ない計算で実現でき、また多くの筋活動の組み合わせを簡単な数式で説明できることから、工学から臨床医学などで広く使われている。しかし、この運動モジュールはこれまで主としてカエルの神経系では実験的に発見されていたが、ヒトや霊長類の神経系では発見されていなかった。そこで、研究グループはこの点に着目し、霊長類の神経系におけるこの運動モジュールの存在を実験的に検証した。
マカクサルに電極を埋め込み実験、運動モジュールを発見
まず、麻酔下のマカクサルの下位頸髄に16本の金属電極を慢性的に埋め込む手術を3頭の動物に実施。手術から回復後、それぞれの動物の麻酔下で腕と身体を測定台に固定し、脊髄への電気刺激によって誘発される腕運動の方向と大きさを手首に力センサーを装着することによって計測した。
結果、手首の位置を7点間で移動させると、脊髄刺激によって異なった方向の力ベクトルが計測された。2つの電極(電極AとB)への刺激によって発生する力ベクトルについて比較したところ、AとBではそれぞれ別の方向へ力ベクトルが引き起こされた。また、AとBを同時に刺激するとまた別の方向へ力ベクトルが引き起こされたが、それはAとBのベクトルの線形和で想定される力発生パターンとよく一致していた。このことから、霊長類の腕運動の方向は、脊髄における個々の運動モジュールの働きの単純な線形和で説明可能なことが示された。同様な結果が3頭のサルの30電極ペアにおいて再現されたことから、霊長類の頸髄に運動モジュールが存在すると結論づけられた。
運動方向はモジュール出力の線形和、大きさは超線形和
しかし、誘発された力の大きさについて同様な解析をすると、運動方向とは全く異なる結果が得られた。脊髄2点刺激において誘発される運動は、個々の刺激で誘発される運動サイズの線形和にはならず、線形和の数倍から数十倍大きな力が誘発された。これは従来の報告にない、全く予想外の現象だった。
では、霊長類の脊髄ではなぜ、四肢運動の大きさが運動モジュール出力の線形和で説明できないのか。研究グループは、「この超線形和現象が霊長類に特有な手指の運動の多彩さと関係しているのではないか」「そうだとすれば、手指の筋活動と肩肘の筋活動を別々に解析した場合、手指にこの超線形和現象が顕著に認められるのではないか」という新たな仮説を立てた。そして実際に筋電図を解析した結果、仮説通り手首や手指の筋において顕著に超線形和現象が現れることを見出した。
神経変性疾患や脳卒中による運動障害の新たな診断・治療法開発に期待
以上の結果から、霊長類の腕の運動の方向と大きさは、脊髄に存在する同じ運動モジュールを異なった様式で利用することによって効率的に制御されていることが示唆された。まず運動の方向の制御は、脳からの指令が異なった運動方向を生み出す二つの筋肉のセットを活動させる運動モジュール(脊髄介在ニューロン群:INa、INb)を適切な割合で刺激することによって実現する。すなわち、INa、INbからの運動出力の線形和が、実行したい運動方向と一致するようにそれぞれを活動させるという方法だ。この戦略は、カエルやげっ歯類でも認められていることから、脊椎動物共通の運動制御戦略と考えることができる。
一方、ヒトの日常生活では、同じ方向の運動であっても異なる大きさの力を出す必要がある場合がある。例えば、水がいっぱいに満たされているグラスと、少ししか入っていないグラスを持ち上げて口に運ぶ場合、グラスをテーブルから口まで運ぶために必要な軌道(運動方向)は同一だが、持ち上げるために必要な筋力(運動の大きさ)は異なる。上記のシステムを用いれば、2つの運動モジュールを活動させることで運動の方向を決めておきながら、水の量に合わせてまた別の上位モジュールを活動させることにより、運動の方向と大きさを別々に制御できることになる。
げっ歯類やカエルに比較して、霊長類は多様な外部環境を、腕を用いて操作することが日常生活において求められている。今回の研究で新たに発見された運動モジュールと、それを用いた運動方向とサイズの独立制御は、このような霊長類に特有の多機能な手指や手首の運動を効率的に行うために有効に使われていると考えられる。今後、ヒトの四肢運動について、運動モジュール仮説を土台とした解析や解釈が一層進むと想定される。工学の分野では、より複雑なロボットの動き制御が運動モジュールを用いた制御によって実現すると期待され、臨床医学の分野では神経変性疾患や脳卒中などで引き起こされる運動障害を、運動モジュール仮説によって解析することにより、新たな診断方法や治療方法が生み出されることが期待されると、研究グループは述べている。
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