日米共同研究体制を確立、最新技術を用いて臓器線量を再評価
日本原子力研究開発機構(JAEA)は9月3日、1945年の日本人標準体型に基づく人体モデルを構築し、最新の放射線挙動解析コードを組み合わせて原爆被爆者の臓器線量を従来手法よりも精度よく評価する手法を確立したと発表した。この研究は、JAEA原子力基礎工学研究センター放射線挙動解析研究グループの佐藤達彦研究主幹、放射線影響研究所(放影研)統計部のHarry Cullings博士、米フロリダ大学のWesley Bolch教授、米国国立がん研究所のChoonsik Lee博士らによる日米共同研究プロジェクトチームによるもの。研究成果は、3報のシリーズ論文として「Radiation Research」に掲載されている。
画像はリリースより
広島・長崎の原爆被爆者の健康影響に対する疫学調査には、被爆時の状況に合わせた詳細な臓器線量の情報が不可欠だ。原爆被爆者の健康影響に対する疫学調査結果は、国際放射線防護委員会(ICRP)が放射線防護に関する勧告を策定する際、最も重要な基礎データとして利用されている。その疫学調査には、各人の被爆状況に合わせた詳細な臓器線量評価が不可欠だが、放影研では、原爆被爆者線量推定システムを数十年にわたって整備・改良してきた。現在のシステムには、2002年に発表された線量推定システムDS02に補正を加えたDS02R1が採用されている。このシステムでは、原子爆弾から放出された主要な2種類の放射線である光子や中性子の空気中での挙動を地形の影響を考慮して詳細に模擬しており、爆心地から半径2.5km以内の場所における光子や中性子の強度を精度よく推定することができる。
計算した光子や中性子の強度からその地点にいた被爆者の臓器線量を推定するためには、人体内での放射線挙動をコンピュータ内で再現し、各臓器に放射線によって付与されるエネルギーを正確に計算する必要がある。現在のシステムでは、その計算に1980年代に開発された3つの年齢群に対する数式人体模型と、当時の計算機性能でも動作可能な近似式を多く含む放射線挙動解析コードが採用されている。しかし、近年の放射線防護研究や医学物理計算では、CT画像などから構築した詳細な人体模型や近似を使わずに第一原理に基づいて個々の放射線挙動を追跡する計算コードの利用が増えてきており、原爆被爆者の臓器線量推定システムでもそれら最新の計算技術を用いた再評価が望まれていた。
こうした背景から、研究グループは、日米共同研究体制を確立し、最新の計算科学技術を用いて代表的な被爆条件に対する臓器線量を再評価した。
1945年の標準体型に基づく人体モデルを構築、最新の解析コードで精度を向上
今回実施した内容は、次の4点。
1)1945年の日本人標準体型に調整した成人男女及び年齢別小児男女に対する人体模型の開発
2)1945年の典型的な日本人標準体型に調整した在胎週別妊婦に対する人体模型の開発
3)それら人体模型と最新の放射線挙動解析コードを組み合わせた代表的な被爆条件に対する臓器線量計算
4)さまざまな照射条件に対する臓器線量データセットの整備
1)および2)の人体模型開発では、フロリダ大学および米国国立がん研究所で開発したNURBSとポリゴンメッシュを組み合わせて詳細に臓器形状を表現したハイブリッド人体模型を、放影研が調査した1945年の日本人平均身長、体重、及び座高と一致するよう調整した。
3)の計算では、原子力機構が中心となって開発した放射線挙動解析コードPHITSや米国ロスアラモス研究所で開発したMCNPを用いて、光子や中性子のみならず、従来手法では追跡が困難であった電子の挙動も解析した。
4)のデータセット整備では、原子力機構の大型計算機を用い、原爆被爆者線量推定システムで採用している27,840照射条件(480角度×58エネルギー群)の膨大なシミュレーションを成人男女人体模型それぞれに対して実施した。
概ね現行の評価結果と一致、一部臓器で最大±15%程度の差
代表的な被爆条件に対して、今回の研究と現在使われている線量推定システムで臓器線量の差分を計算した。その結果、多くの臓器に対して、両者は10%の範囲内で一致することがわかった。これは、現在の線量推定システムがさまざまな近似を導入しているものの十分な精度を有していることを改めて示した結果だという。新しい人体模型と現在のシステムが採用している人体模型では臓器の定義が異なる結腸や、最新の計算手法では海綿体など複雑な臓器構造を考慮可能な骨組織に対しては、両者の差は最大で±15%に達することが判明。また、PHITSを使うことにより人体内で2次的に発生する電子の挙動も追跡可能となり、その効果で体の深部にある臓器の線量が2~3%程度大きくなることもわかった。さらに、現在のシステムでは個別に評価していなかった皮膚や胎児の臓器線量は、疫学調査で一般的に使われてきたそれらの代用線量(空気の線量および成人女性の子宮線量)と比較して最大で20%程度小さいことがわかった。これは、自分自身や母体による自己遮へい効果に起因すると考えられるという。
今回の研究により、最新の計算科学技術を用いて各原爆被爆者の臓器線量を再評価する準備が整った。また、代表的な被爆条件に対して同研究と現行の線量推定システムで計算した臓器線量を比較し、現行システムの妥当性を確認するとともに、一部の臓器に対しては臓器線量の再評価により疫学調査の信頼性を向上できることがわかった。ただし、その差は最大でも±15%程度であり、再評価によって従来の疫学調査結果やそれに基づくリスクモデルが大幅に修正されることはないと考えられる。
研究グループは、今後、成人男女以外に対する臓器線量データセットも整備し、今回の研究成果をDS02R1線量推定システムに組み込むための準備を進めていく予定。また、正座や横臥位の状態の人体模型も開発し、各人の被ばく条件をより再現した臓器線量評価を可能にしたいと考えているという。これらの研究開発が完遂し、この改訂版原爆被爆者線量推定システムが採用されれば、疫学調査結果やそれに基づくリスクモデルを更新することができる。また、放射線防護指針を策定・改訂するために利用できる放射線リスクについて、より正確な推定値が得られると期待できる。
今回の結果が、放影研が保持する原爆被爆者のすべての臓器線量を算出するのに推奨できるかどうか、プロジェクトチームは、放影研の首脳陣、厚生労働省、米国エネルギー省と連携しながら検討を進めるとしている。
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・日本原子力研究開発機構 プレスリリース