自己と他者の報酬情報を、脳はどのように処理するのか
生理学研究所は2月25日、サルを用いた研究から、自己の報酬情報だけではなく、他者の報酬情報も考慮した報酬の主観的価値の処理に、視床下部外側野の神経細胞が関わっていることを発見したと発表した。これは、同研究所の則武厚助教(元関西医科大学)、二宮太平助教、磯田昌岐教授(元関西医科大学)らの研究グループによるもの。研究成果は、「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」(米国科学アカデミー紀要)に掲載されている。
画像はリリースより
自己の報酬価値が、他者の得る報酬によって影響されることは、日常的によくあることだ。例えば、同じような仕事をしている同僚の給料が気になり、それが自分より高いことがわかると、自分の給料はこれまでと客観的には変わらないのに、仕事への意欲が下がったりすることがある。
これまでの研究で、脳の「視床下部外側野」の神経細胞は、食物や水を探索あるいは摂取する際に活動することなどから、自己の報酬の価値づけに重要な役割を担うことがわかっている。最近になり、視床下部外側野が他者を含む社会的な情報処理にも関与することを示唆する研究がいくつか報告された一方で、視床下部外側野の神経細胞が、具体的に他者のどのような情報をどのように処理するのかについては、明らかになっていない。
研究グループは、視床下部外側野が、他者の感情や行動など、社会的情報の処理の中枢である「内側前頭前野」とも解剖学的に連絡しているという事実に注目。「視床下部外側野の神経細胞は、自己のみならず、他者の報酬についても何らかの処理を行っている」との仮説を立て、サルを用いた研究を行った。
サルの視床下部外側野で、自己と他者を統合した報酬情報処理を示すような神経応答を確認
対面する2頭のサルを用いた「社会的古典的条件づけ」という行動実験を行い、自己と他者に与える報酬(ジュース)の確率を操作した。その結果、自分が報酬をもらえる確率が高まれば高まるほど、ジュースを舐めようとする行動(リッキング)が増える一方で、自己の報酬確率は一定にも関わらず、他者が報酬を得る確率が高まれば高まるほど、リッキングは減少し、自分が報酬を得ることに対する価値が下がることを見出した。この結果は、自己の報酬情報だけでなく、他者の報酬情報も考慮して報酬の価値(主観的価値)が変化すること、また、そのような主観的価値をサルの行動から解析できることを意味する。
次に、自己と他者の報酬情報の処理様式を明らかにするため、行動実験を行っている際のサルの視床下部外側野から単一神経細胞活動を記録。その結果、視床下部外側野では、自己や他者の報酬確率そのものではなく、両者を統合した結果である、報酬の主観的価値を表現するような神経応答が確認された。この処理様式は、研究グループが以前に見出していた、中脳ドーパミン細胞の処理様式に近いものであった。さらに興味深いことに、この主観的価値に対する反応は一過性のものであり、約0.5秒後には、自己の報酬情報か他者の報酬情報かを異なる細胞がそれぞれ選択的に処理することがわかった。この処理様式は、同じく研究グループが見出していた、内側前頭前野の処理様式に近いものだった。
視床下部の神経細胞の活動を試薬で遮断すると、他者の報酬情報の影響が消失
続いて、内側前頭前野と視床下部外側野の間での情報のやり取りの有無や方向性を検討するため、2つの脳領域から局所電場電位を同時に計測。その結果、内側前頭前野から視床下部外側野に向かう情報の流れがあることがわかった。これらの結果から、視床下部外側野では自己と他者の報酬情報を統合した主観的価値の情報が一過性に現れた後、内側前頭前野から送られた自己と他者の報酬情報が、それぞれ異なる細胞によって処理されていることが明らかになった。
視床下部外側野の神経細胞が、他者の報酬情報を考慮した自己報酬の価値づけに関与するのであれば、視床下部の神経細胞の活動を遮断することにより、そのような価値づけは、もはや生じなくなり、サルの行動にも変化が現れる。このことを検証するために、ムシモルという試薬を視床下部外側野に注入し、視床下部の神経細胞の働きを一時的に遮断した。その結果、主観的価値の判断における他者の報酬情報の影響が、行動レベルにおいても消失することを確認した。
今回の研究により、視床下部の神経細胞が他者の報酬情報の処理にも関わることが示された。また、視床下部外側野の神経細胞では、主観的価値の情報から自己または他者の報酬情報へと、処理の内容が短時間に変わることも明らかになった。これらの研究成果は、社会的状況における報酬期待やモチベーションの生成過程において、視床下部外側野が極めて重要な役割を果たすことを示唆している。「今回の研究が契機となって、視床下部外側野が担う社会的認知機能の更なる解明を目指す研究が、今後加速されることが期待される。特に、視床下部外側野が処理する社会的情報が、報酬そのものに限定されるのか、あるいは報酬を獲得する自己や他者の行動にまで範囲が及ぶのか、大変興味深い」と、研究グループは述べている。
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・生理学研究所 プレスリリース