神経細胞の新生を促進すると記憶が忘却されることに着目
東京大学は8月2日、トラウマ記憶忘却による簡便な心的外傷後ストレス障害(PTSD)改善方法を開発したと発表した。この研究は、同大大学院農学生命科学研究科の喜田聡教授、東京農業大学生命科学部、神戸大学大学院医学研究科の研究グループによるもの。研究成果は、「Molecular Brain」に掲載されている。
画像はリリースより
現在、PTSDの治療薬はなく、症状を軽減する対症療法にて投薬が行われている。一方、PTSDの有効な認知行動療法として「持続エクスポージャー療法」が開発されている。この治療は、医師と患者が面接し、患者が繰り返しトラウマ体験を思い出し語る中でPTSDの精神症状を改善する方法である。しかし、繰り返しの面接が必要となるため長期間を要し、患者と医師双方に大きな負担がかかるという問題がある。
喜田聡教授らのグループは、マウスの海馬において神経細胞の新生を促進すると記憶が忘却されることに着目し、記憶忘却効果によるPTSDの改善方法の開発に取り組んできた。認知症治療薬として現在使われている「メマンチン」(MEM)投与により、海馬神経新生の促進が起こり、記憶の忘却が促進されることをこれまでに示している。
認知症治療薬メマンチン投与により、不安行動も改善
研究グループは、1日10分間、10日間連続で、小型の雄成体マウス(C57BL/6系統)に、威嚇行動を示す大型の雄成体マウス(ICR系統;大型マウス)を曝露させ、小型マウスにトラウマを体験させた。その後、オープンフィールド内に設置した筒の中に入れた大型マウスに対する忌避行動を測定し、大型マウスを記憶しているか評価した。結果、トラウマ体験マウスは大型マウスに近寄らず、また、距離をおくことが明らかとなり、大型マウスに対する記憶(社会忌避記憶)が観察された。また、高架式ゼロ迷路課題(壁のない通路と壁のある通路がある円形迷路を床上50cmに設置)により、不安行動を評価した結果、トラウマ体験マウスは高所を怖がり、PTSD様の不安行動も認められた。
その後、メマンチンを1週間毎に計4回投与した結果(この間は投薬のみ)、メマンチンを投与されたトラウマ体験マウスは、再び、大型マウスに近寄る行動を示すようになった。すなわち、メマンチン投与による社会忌避記憶の忘却が認められた。最も重要な点として、メマンチン投与後に、高架式ゼロ迷路課題において、不安行動の改善も観察された。さらに、大型マウスにもう一度10分間曝露させても、社会忌避記憶の回復は認められず、社会忌避記憶が強く忘却されていることも示唆された。以上の結果から、メマンチン投与が社会忌避記憶の忘却のみならず、PTSD様の不安行動も改善することが示された。
PTSDモデルマウスを用いた解析から、メマンチンを用いたトラウマ記憶忘却によるPTSD治療方法の有効性が示唆された。この方法をPTSD治療に用いると、持続エクスポージャー療法にように継続的な医師との面接が必要ではなくなるため、持続エクスポージャー療法を大幅に短縮させる、あるいは、医師との面接が必要ではなくなる可能性も考えられる。例えば、震災発生時には、一度に多くの人がPTSDを発症する可能性があり、PTSDの患者の治療が困難を極めると想像されるが、この方法を用いれば一度に多くのPTSD患者を治療することが可能となる。現在、国立精神・神経医療研究センターにおいてメマンチンを用いた臨床試験も行われており、その成果が期待される。
▼関連リンク
・東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部 研究成果