自由行動下での「記憶痕跡細胞」の継続観察は困難
富山大学は6月12日、自由行動下のマウスの脳内で、記憶を獲得した神経細胞集団に特有の活動を光で測定する技術を開発し、新しい出来事を経験した記憶が脳内で保持される様子と記憶が定着する様子を観察することに成功したと発表した。この研究は、同大学院医学薬学研究部(医学)生化学講座の大川宜昭講師と、井ノ口馨教授、カレド・ガンドウル特命助教らと、沖縄科学技術大学院大学の深井朋樹教授、チー・チャン・アラン・ファン研究員らとの共同で行われたもの。研究成果は、「Nature Communications」のオンライン版で公開されている。
画像はリリースより
経験した出来事の記憶は脳の海馬で形成されるが、海馬で記憶を保持した神経細胞が変化した「記憶痕跡細胞」の集団活動の継続観察は、動物が自由に行動できる状況では困難だ。そのため、脳内で記憶がどのように情報処理されているのかについても未解明だった。
蛍光タンパク質で記憶痕跡細胞を区別、睡眠中に記憶が定着する様子の観察にも成功
研究グループは、神経細胞は活動すると、カルシウムイオンが細胞内に流入することから、カルシウムイオン濃度の変化に応じて蛍光を発する人工的な蛍光タンパク質「G-CaMP7」に着目。それを神経細胞で作り出すことができる遺伝子改変マウス(Thy1::G-CaMP7マウス)を作成した。一方、記憶痕跡細胞を別の蛍光タンパク質KikGRで観察できる遺伝子改変マウス(c-fos::tTA遺伝子改変マウス)も作成し、両者を交配させることで、神経細胞の活動と記憶痕跡細胞の存在を区別して観察できる二重遺伝子改変マウスを作成した。
そして、このマウスの海馬に内視鏡としてロッド型レンズを挿入し、神経細胞の活動(G-CaMP7の蛍光)と記憶痕跡細胞の存在(KikGRの蛍光)を、超小型蛍光顕微鏡(nVista)で観察できる技術を確立した。このレンズは表面から約0.3mmで焦点が合うようになっており、観察したい細胞から離れた場所に置けるため、細胞にダメージを与える可能性が極めて低く、多数の細胞が活動する様子をしばらく観察することができる。このマウスを四角い箱や丸い箱に入れて自由に行動させ、部屋の形を記憶する様子を実験で調べたところ、海馬で数百個の神経細胞の活動を示すG-CaMP7の蛍光を直接観察できるようになった。また、これらの活動している神経細胞について、KikGR蛍光を観察することで、記憶痕跡細胞とそれ以外の細胞に区別することにも成功した。
そこで、マウスが丸い箱から四角い箱へと新たな形の空間に入れられたときなど、新しい出来事(新奇エピソード)を経験しているとき、記憶痕跡細胞がどのようなパターンで活動しているかを調べた。その結果、ある記憶痕跡細胞の集団は、新しい出来事の経験中に、類似したパターンの活動を頻繁に繰り返していることがわかった。このような現象は、記憶痕跡以外の細胞集団では見られなかった。次に、マウスが「(1)新たな形の空間を経験しているとき(新奇エピソード)」、「(2)ノンレム睡眠にあるとき」、「(3)レム睡眠にあるとき」、「(4)それらの睡眠後に再度同じ空間に入れたとき(2度目の経験)」、「(5)それらの睡眠後に同じ実験室で違う空間に入れたとき」について調べたところ、(2)~(5)での記憶痕跡細胞の集団の活動パターンは、「(1)最初の経験」から一貫して類似性を保持していることがわかった。その後の睡眠や2度目の経験を経ても類似の活動パターンを繰り返すことから、記憶痕跡細胞の集団の中で同期活動している特徴的な亜集団がないかを調べた。(1)~(5)の記憶痕跡細胞の集団的な活動パターンについて、非負値行列因子分解解析を行ったところ、新奇エピソードで現れた記憶痕跡細胞の集団の中に複数の亜集団が存在していることが明らかになった。それらの亜集団が活動するタイミングや細胞構成がバラバラであったことから、それぞれの亜集団は異なる記憶を保持するのに関わっていると考えられる。
さらに、「(1)新奇エピソード」で現れた記憶痕跡細胞の亜集団の活動パターンについて、その後の睡眠や再度同じ箱に入れたときに出現するのかどうかを調べたところ、亜集団の約40%で一貫して再出現していた。一方、記憶痕跡細胞以外の亜集団で活動が再出現するものはほとんどないことが判明した。また、この記憶痕跡細胞の再活動の多くは、同じ実験室で違う箱に入れたときには消えてしまった。このことから、記憶痕跡細胞の亜集団のうち約40%は、睡眠中に自発的に再度活動するとともに、記憶を呼び起こす際にも再び優先的に活動することがわかった。
このように、記憶痕跡細胞は複数の亜集団を構成し、それぞれが経験した記憶の全体像をつくる個別の情報に応じて、時間的にずれて活動していることが明らかとなった。つまり、ある出来事を経験する記憶の全体像は、複数の記憶痕跡細胞の亜集団から成る活動が協奏的に脳内で出現することで表現されていること、そして、睡眠中に亜集団の一部の活動が再現することによって、脳内に定着することが強く示唆された。
効率の良い記憶学習法や記憶障害の早期診断法の応用に期待
今回の研究により、新しく経験した出来事の記憶が、記憶痕跡細胞がつくる複数の亜集団の活動の集合として脳の中に存在していることが明らかになった。今後それぞれの亜集団と、経験の中に散りばめられている香りや音といった付加情報など記憶の要素との対応付けを図ることで、脳内に表現されている情報を詳細に解読する可能性が見えてきたと言える。
研究グループは、「近い将来、記憶痕跡細胞の亜集団を解析することによって、どのような夢を見ているのかわかるようになるかもしれない。出来事を経験した後の睡眠中に、亜集団が再活動することによって記憶が定着することが強く示唆されたことから、効率の良い記憶学習法が見出されることも期待される。また、記憶の本質の理解によって、アルツハイマー型認知症などの記憶障害に対する早期診断法の応用につながることも期待される」と、述べている。
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