一瞬の出来事をなぜ長期にわたり記憶できるのか
京都大学は5月13日、新たな分子記憶の原理を発見したと発表した。この研究は、同大大学院医学研究科の實吉岳郎准教授(研究当時は理化学研究所)、林康紀教授らの研究グループによるもの。研究成果は国際学術誌「Neuron」に、5月9日付で掲載された。
画像はリリースより
ヒトは、一瞬にしか過ぎない出来事を、長期間にわたって記憶することができる。そのため、脳には一瞬の情報を長期的な情報として蓄えるメカニズムがあると考えられてきた。この仕組みのひとつは、シナプス可塑性によるもので、個々のシナプスの性質の変化は、神経回路網に保存される記憶の素子であり、その集積によって情報として蓄えられていると考えられている。
シナプス可塑性の中でも長期増強現象(LTP)は、グルタミン酸受容体からシナプスへCa2+が流入し、カルシウム・カルモデュリン依存性タンパク質リン酸化酵素2(CaMKII)の活性化を経て最終的に長期にわたるシナプス伝達強度を増強する。LTP刺激を受けると、シナプスではカルシウムイオン濃度がミリ秒単位で上昇し、続くCaMKIIは1分間程度活性化する。これに対してシナプスの形を支えるスパイン内のアクチン細胞骨格の活性化は30分間以上持続するが、非常に短いカルシウムイオン濃度の上昇をどのように長期間持続するシナプス伝達強度へと変換するのかは、全くわかっていなかった。そこで今回、研究グループは、CaMKIIとアクチン細胞骨格に着目して、長らく未解明だった、シナプス可塑性における一過的なカルシウムシグナルを持続する生化学反応へ変換するメカニズムの解明を試みた。
記憶がTiam1とCaMKIIからなるRAKECとして形成、維持
今回の研究では、ラット海馬興奮性神経細胞をモデルにLTP刺激により起こる生化学的な変化をライブイメージング、生化学、分子生物学的手法を組み合わせて行った。これまでの研究からアクチン重合へ至るコフィリンを介した情報伝達経路、特にRho経路が重要であることがわかっていたため、LTP発現時にRho経路の一つであるRac1の活性化様式を詳細に調べた。その結果、刺激を受けたスパインでのRac1活性化は、LTP刺激がなくても続いていることがわかった。また、Rac1を活性化するタンパク質の中でCaMKIIと結合するものを調べたところ、Tiam1が安定して結合していた。さらに、結合様式を生化学的に検討したところ、Tiam1とCaMKIIの結合には、1)カルシウム・カルモデュリンが必要なこと、2)一度結合が成立するとカルシウム・カルモデュリンは必要なくなること、3)CaMKIIの酵素活性は必要ないこと、4)CaMKIIはTiam1の1543-1557に結合すること、5)Tiam1は、CaMKIIのT-siteに結合することがわかった。Tiam1とCaMKIIはお互いを活性化し合う酵素と基質のシグナル複合体であることが明らかになり、研究グループは、このような複合体をRAKEC(reciprocally activating kinase-effector complex)と名付けた。
LTP誘導に際して、スパイン内でのRAKECの挙動をFRETライブイメージングの手法で検討すると、神経伝達物質であるグルタミン酸刺激により急速にTiam1/CaMKII複合体が形成され、30分間以上持続していた。また、分子置換法による検討で、Tiam1/CaMKII複合体はRac1活性化およびシナプス構造可塑性に必須であることがわかった。以上のことから、シナプス可塑性においてシナプス単位の記憶が、Tiam1とCaMKIIからなるRAKECとして形成、維持されるメカニズムが明らかとなった。今回の研究成果は、これまで特定の分子のリン酸化や発現量などでは説明つかなかった分子記憶が、タンパク質間相互作用として存在するという新しいコンセプトを提案するものだと研究グループは述べている。
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・京都大学 研究成果