第3部:一緒に行動しよう
座長 野田哲生(UICC日本委員会委員長/がん研究会がん研究所所長)
“WE CAN. I CAN.”は、本年のワールドキャンサーデーの全世界共通のスローガンである。第3部を開始するにあたり、座長の野田氏は以下のように述べた。「“WE CAN”の“WE”は誰なのだろう?ということを、もう一度考えてみたいと思います」。
“WE”が指すのは、誰なのか?-現状の課題を打破するために活動を開始する時、あるいはこれまでの活動を更に普及・発展させようとする時、連携する他者の規模・枠組みは、その活動の成否に影響する。第3部では、さまざまな規模や枠組みで他者と“一緒に行動する”パネリストたちの取り組みや問題意識が語られた。
第2部はこちら⇒【連載】第2部:全てのがん患者に優れた医療を!
【13】一緒に行動しよう:We can inspire action, take action.
野田哲生(UICC日本委員会委員長/がん研究会がん研究所所長)
第3部の冒頭に野田氏が投げかけた“WE CAN”の“WE”は誰なのか?―活動の目的や種類に応じて連携の規模は変わるが、日本国内のリソースでは解決が困難な場合、「“がん患者は世界中にいるんだ”ということで一度視野を広げて考えてみる」ことの必要性に触れた。
また、野田氏は他のパネリストとの議論をふまえ、「いま見方を一つ大きくして、自分たちの(がんにまつわる)苦しみに基づいた知識を整理し直し、他とつながることで、次の世代が変わるんじゃないか。次の世代ががんにならず健康に暮らし、がんになってもより積極的に治療を受けられるようになるのではないか」と述べ、現在がんに罹患する患者のために他者と一緒に行動することも大切だが、”次の世代のために”という視点の重要性にも言及した。
【14】がん対策に投資を行おう:We can make the case for investing in cancer control.
赤座英之(東京大学大学院情報学環・学際情報学府特任教授)
わが国の泌尿器がん治療の権威として活躍してきた赤座氏は、今回取り上げられるテーマの中で、特にイメージしづらい“投資”を担当した。多くの人に、がんに対する認識の転換を迫るであろう “投資対象としてのがん”という考え方が、2つのキーワードを絡めつつ語られた。
1つめのキーワードは、“投資の見返りは、人”。元気な人ががんになり落胆する。しかし治療によって回復しその後、再び働き始める。そのときの気持ちの変化・心の変化、それは患者さんだけではなく、家族や友人、職場の同僚も含めた“患者をとりまく人々”にまで波及し、多くの人を明るくする。投資の見返りとしての“人”は、患者一人ではない、とも赤座氏はいう。
もうひとつのキーワードは、“ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)”。近年提唱されるようになったこの概念については、赤座氏が責任者を務めるUICCアジア支局が特に力を入れて取り組んでいることもあり、「すべての国の人たち、そしてこれが一番大事ですが、“すべての年齢の人たちが、自分のポケットマネー程度で、あるいは経済的な破綻を来たさない程度で、均一な治療”を受けられるようにしよう、という非常に大きな目標です」と噛み砕いて説明した。
しかし現実の医療費、特に薬剤価格の甚だしい高騰傾向は指摘するまでもない。
これについて氏は、がん治療薬の研究開発には多額の費用がかかり、その多くを薬剤の価格で回収しようとする状況が価格高騰の一因と指摘し、現状の保険による費用負担の限界にも言及するなかで、「近年、非常に高価な薬剤が登場し、このままでは国民皆保険制度が破綻すると議論になった。そこまでの読みはいいけど、そのとき、どうしたらいいか?という議論が巻き起こりました。そこで私はがっかりした。“じゃあ、年齢制限しよう。余命何年になったら保険はかけられない”という話が出たわけです。その話を聞いて非常に暗い気持ちになりました」と語気を強める。「既存の保険制度の範疇で考えようとするから、そのような議論になる。もっと発想を広げなければだめです。では、どういう発想か。例えば、保険で賄いきれない部分はがん治療奨励制度みたいなものをつくろうとか、そういう発想があっても良いのではないでしょうか」。
赤座氏の言う“がん対策を投資としてとらえなおす”とはなにか?―投資の見返りは、がん患者だけでなく、その周りも含めた“人”という資産であり、次の投資をうながす存在である。そしてUHCの実現がこの投資の目的であり、直接的な恩恵を受ける患者に年齢の制限があってはならない―というものであろう。
【15】医療政策に声をあげよう:We can shape policy change.
武見敬三(参議院議員)
武見氏は、相互に関わりのある3つのキーワード、“アジア健康構想”“がんのゲノム医療”“データヘルス構想”を紹介しつつ、立法府の視点から発言した。
「日本の国の中のコンテクストだけで医療に関連する政策を考えていたとしても、そこには一定の限界があります。しかし日本には、アジアの国々と比べると相当高いレベルの医学・医療関連の政策がある。これを丸ごとパッケージで、日本が関わる形でアジア諸国の保健・医療・介護・福祉分野の基盤形成に活用し、そこで得られた果実をわが国の医療・介護・福祉分野への再投資に使う。このような好循環を、日本とアジアを全体にして考えてつくっていこう。これが“アジア健康構想”です。
一方、人が持つ遺伝子(ゲノム)の情報をがん治療に役立てるために、ゲノム情報を集積して治療法の研究・開発に利用可能な形にしようとするのが、“がんのゲノム医療”です。
そしてゲノムに限らず、健康に関するさまざまなデータを集積し、病気の予防・医療・介護に至るまで、1人1人にとって最適な方法を提供するシステムをつくろうとするのが“データヘルス構想”です。
現在“がんのゲノム医療”と“データヘルス構想”に不可欠なデータの収集は、日本国民で考えていますが、これをアジアという枠組みで考えたらどうでしょうか。そうすると、データの母数はもっと広がります」―民主主義社会では、民意の同意・後押しがなければどんなに有望な政策であっても実現のチャンスを得られない。“がんのゲノム医療”、“データヘルス構想”という日本の知的な財産を“アジア健康構想”でアジアの国々に広げて、アジアと日本の医療の発展に役立てるという戦略の実践には、立法と行政だけでなく、国民の理解も必要である。
【16】力を合わせれば変えられる:We can join forces to make a difference.
野崎慎仁郎(WHO神戸 上級顧問官)
野崎氏は、2017年に就任したWHO(世界保健機関)事務局長Tedros Adhanom Ghebreyesus氏の発言を紹介しつつ、“ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の実現は、基本的人権の一つとして、WHOにおける最重要課題である”とした。しかし、がん治療は、原発部位や進行度に応じてさまざまな治療選択肢があり、その選択の傾向は国や地域ごとの経済的・文化的背景の影響を受けて大きく異なるため、がんにおけるUHCの実現には、これまでWHOが大きな成果を挙げてきた感染症対策―病原体を明らかにし、それに対する薬剤を投与する―とは異なるアプローチが必要であると指摘する。
そこでWHO神戸センターでは、“アジア健康構想”の枠組みにおいて日本とアジア諸国の大学が協力した政策研究を行っており、2017年だけで15のプロジェクトが立ち上がったという。
「タイの県庁の高官が嘆いてこのように話したんです。“これからどんどん医療費が増えていく。どうしたらいいんだろうか…”。タイは将来的に日本の1人当たりGDPの3万5000ドルに到達することはなく、1万ドルくらいで頭打ちになってしまう、といわれているんです。そうすると、端的に言うと、日本の3分の1、4分の1の医療費で何ができるかを考えなければいけない。かなり深刻なんです」、「今アジアの国々は、みんなすごい勢いで日本を追いかけています。それはテクノロジーの話ではなく、少子高齢化を追いかけているのです。みんな日本から学びたいんですね。そして、日本もアジアの国々から学ぶ。そういった意味で、みんなが一緒に仕事をしないと生き延びていけない。よりよい社会はない。幸せな社会はない」と話す野崎氏。楽観できるとは言い難い状況ではあるが、日本とアジアのがんの経験がどのように融合するのかに期待がかかる。
【17】わたしはがんと生きていくことができる:I can take control of my cancer journey.
生稲晃子(女優)
「私は自分ががんになってからというのは、もう自分のことで精いっぱいだったんです。何かを考えたり、何かを知るという余裕が全く持てませんでした。“あなたはがんですよ”と告知を受けた患者の皆さんも、私と同じような気持ちかなと思うのです」―2011年に乳がんと診断され、その後、2回の再発、5回の手術を受けた生稲氏は、「心が折れそうになったことは何度もあったのですが、仕事場や家庭で“自分が必要とされているんだ”という気持ちを持つことで、何とか乗り切ることができました」と語る。
「仕事場に自分の居場所がある、自分の言葉や働きに期待をしてくれている人々がいるということが、どれだけ病と闘う励みになったか知れません」という経験をふまえ、氏は2016年から2017年にかけて政府の働き方改革実現会議の民間議員として、“両立支援コーディネーター”の提案に関与した。医療機関と企業を橋渡しし、治療と仕事の両立を支援するのがその役目だ。
また一方で「私には娘が1人おり、非常に迷ったのですが、正直に話しました。“ママのおっぱいの中に悪いものがあって、それを切らないとママは死んでしまうかもしれない”。当時5歳の娘は、泣いてはいましたが、一緒に闘ってくれました。ただ、2度目の再発がわかったときは、最悪のことも頭をよぎったんですね。“でも、私のところに生まれてきてくれた娘が成人するまでは、死ぬわけにはいかない。責任を持ってそばにいてあげたい。生きていなければ”と、がんに立ち向かう強い気持ちを家族から持たせてもらいました」と家族が支えとなったとも語る。
UICCの存在については、「支え合うという心が、自分の周りだけではなくて、日本だけではなく世界とつながることができたら、どんなにすばらしいことだろうと考えます」、「“ああ、この時代に生きててよかった”と思いました。自分はがんになってしまいましたが、昔は不治の病だと言われたがんについて、いま日本で、そして世界でつながって、このがん医療について話し合っていく。ひとりの人間として何て安心感が持てるのだろうと、いますごく幸せな気持ち」という感想を述べた。
【18】健康的な街を作ろう:We can create healthy cities.
服部幸應(服部学園理事長)
農林水産省の食育推進評価専門委員会の座長も務めるなど、わが国の食文化に関する政策や活動に深く関与してきた服部氏。日本人にとって一番理想的な栄養バランスの食生活は1965~1985年の20年間であり、1985年頃からは、高脂肪化・高タンパク化が進み、昨今の糖尿病、心筋梗塞、脳梗塞、虚血性心疾患の増加につながったと考えられるという。
「確かに食生活はすごく変わったわけですが、そう簡単にDNAは変わらない」、「日本人の食生活を一度見直さなければいけない」と話す。これまで、食に関する学術的な知見の多くが海外のエビデンスに基づいてきたことに触れ、これらをそのまま日本人に適用することへの疑念も示し、日本人を対象とした調査研究により、日本人の健康に資する食生活のあり方を導き出す必要性を指摘した。
【19】意識を変えよう!:We can challenge perceptions.
河原ノリエ(東京大学大学院情報学環・学際情報学府特任講師)
「がんという病は、昔とは随分変わったとはいえ、まだまだ非常に後ろ向きの意識があります。この言葉を何とかしてみんなの力で変えていこう。それがこの“ワールドキャンサーデー”の試みです」という河原氏。UICC日本委員会の広報を担当する一方で、今回“がん対策に投資を行おう”をテーマに発言した東京大学の赤座英之氏と共に、がんの国際連携の政策提言の研究も行っている。
UICCの活動にも通じる自身の研究内容について他者から、「国際連携って一体、私たちのがんに何の関係があるの? 正直言って、全くわからない」と問いかけられた際、「“患者さんたちが自分の治療選択と向き合う時、何か一つ大きな視点を持つことは、何かのプラスになるのでは?”という言い方しかできなかったのですが、今日の武見先生、野崎先生、赤座先生の大きな視点からの発言に“ああ、まさにこのことなんだな”と、改めて伝えるべき言葉を見つけた気がいたします」との感想を交えつつ、がんという病に立ち向かうために、「みんながつながっている」というメッセージが作られたことを紹介した。また、世界の人々が「つながりたい」という気持ちを持っていることを理解した上で、ひとりひとりが「がんに対しての後ろ向きの意識を変えよう」という気持ちになってほしいと訴えた。
毎年2月4日、UICCは“ワールドキャンサーデー”のキャンペーンを世界各地で開催している。本年のテーマは“WE CAN. I CAN.”。
がんを治療する立場の医師だけでなく、患者自身、患者家族、企業、行政府、立法府、それぞれが、それぞれの立場でがんという病に立ち向かうべく、互いの意見を聞き、知恵を出し合い、連携して行動することは可能である。実際、さまざまな場面で大小を問わず、その成果は認められている。もちろん、未解決の課題も多く、想定外の問題が露見する可能性も無くはない。
“がんは予防できる”、“全てのがん患者に優れた医療を!”、“一緒に行動しよう” の3部構成で開催された約4時間にわたる今回の市民公開講座では、総勢19名のパネリストが、目の前の困難を理解しつつも、これまでに成し遂げたこと、更に積み上げていること、そして、国内に留まらない広い視野で将来への期待や希望を述べ、会場の参加者と共有した。
終了後、会場に程近いカレッタ汐留にて、UICCによるライトアップイベント“Light up the World”が開催され、がんに立ち向かう人々がUICCカラーのブルーとオレンジの光に包まれるなか、本年のワールドキャンサーデーは幕を閉じた。