南相馬市で高橋亨平氏が死去
東日本大震災で多大な被害を受けた福島県南相馬市で、診療を続けていた「原町中央産婦人科医院」の院長、高橋亨平氏が22日午後、南相馬市内の病院で死去。74歳であった。
平成23年5月に大腸がんが発覚。転移も判明し「余命半年」と告げられた。そのため定期的に福島市の病院で治療を受け、時には痛みや吐き気などの症状もありながらも、12月に入院するまで南相馬市で診療を続けた。
被災地で高橋氏が力を入れていたのは、医師や自らの後継者の募集である。診療所のはどこも医師不足であるため、一緒に活動を行なってもらえる仲間を呼びかけた。その結果、医師を確保することができた。現在は4名ほど集まっているため、来年4月からスタートさせる予定である。現在医師の募集は終了している。
(Wikiメディアより引用)
南相馬市の復興を願って診療を続行
高橋医師は、南相馬市に集まってくれた医師達を非常に嬉しく思っており、被曝医療や除染研究所との連携に楽しみも感じていた。また様々な方から応援のメッセージを受け、訪ねてきた先生方に励まれたため、希望が持てたと語っている。
しかし高橋医師には、これから先の医療への不安もあった。その一つが医師不足である。現代の医療は高度医療へと移行しているが、手術などを行う時には、数が必要となる。しかし医師を志望する人が減少、また医師の育成が進まないなどの理由が、医師の数が増えないことの原因の一つである。
そしてもう一つは、研究費が少ないということである。病気の解明や新しい薬を開発するためには、研究費が必要となる。しかし医療に関しての総費用も削減される中、研究費は少なくなっていく一方である。
日本にも優秀な医師はたくさんいる。その人達が一つでも多くの命を救えるようにするために、医師の確保や研究費の予算は必要である、と高橋医師は述べている。
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