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子どもによる他者評価、年齢とともに「普段の実力」をふまえると判明-神戸大ほか

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2024年04月02日 AM09:30

年齢に応じて、自己呈示に対する評価が普段の実力によってどのように変化するのか?

神戸大学は3月29日、自分に対する印象を操作する「自己呈示」の言葉を解釈する際の発達による変化を検討した結果、小学校に通う時期の子どもたちが年齢とともに自己呈示者の普段の実力に注意を向けて、その人の評価をするようになることを明らかにしたと発表した。この研究は、同大大学院人間発達環境学研究科の林創教授らと、サセックス大学のRobin Banerjee教授との国際共同研究によるもの。研究成果は、「Journal of Experimental Child Psychology」に掲載されている。


画像はリリースより
(詳細は▼関連リンクからご確認ください)

ヒトは誰でも、他者が自分のことをどう思うかを気にして、自分の印象を操作しようとすることがある。このような行動は、「自己呈示(self-presentation)」と呼ばれ、代表的なものとして、他者からの評価を高めようとする「自己高揚(self-enhancement)」と、自分を控えめに低く見せようとする(謙遜する)「自己卑下(self-deprecation)」がある。

これまでの発達心理学の研究から、主に児童期(小学生の時期)に、自己呈示に対する評価や理解が進むことが明らかになっている。典型的な方法としては「速く走れるなど、何かをよくできたり、うまく行ったりした主人公が相手から褒められた後、自己高揚的もしくは自己卑下的反応をする」という話を子どもに提示し、(相手から見た) 主人公の能力や性格(良い人か悪い人か)などを評価してもらうというものがある。このとき、主人公の普段の実力(例:走るのが得意/走るのが苦手)の情報は与えられず不明だった。しかし、他者を信頼するか否かは、その人の普段の行動や実力が鍵を握ることが多い上に、「事故にあって怪我したのは、普段の行いが悪かったからかもしれない」などと考えてしまうこともある。このように、ヒトは普段の行動や実力、性格などをもとに、他者に対する評価や判断を行っている。このことを自己呈示に当てはめると、ある場面でよくできたとしても、普段得意な場合と苦手な場合では、自己呈示の言葉の解釈が異なると考えられる。

例えば、主人公が「かけっこ」で速く走って1位になり、相手から褒められた後、主人公が自己卑下的な発話(たまたまだよ)をしたとする。普段走るのが苦手な主人公が、思いがけず1位になったのであれば、その発言は「真実」だ。そのため、自己卑下的反応に対して「誠実さ」などの良い印象を持つと思われる。これに対し、普段走るのが得意な主人公が、いつも通り1位になったのであれば、その発言は「虚偽」だ。したがって、謙遜が鼻につき、やや不快な印象を受けるかもしれない。同様に、速く走って1位になり、相手から褒められた主人公が、自己高揚的な発話(うん、走るのが得意だからね)をしたとする。普段走るのが得意で、いつも通り1位になったのであれば、その発言は「真実」だが、自慢しているように感じて心地良い印象を持たないかもしれない。普段は走るのが苦手な主人公が、たまたま1位になったのであれば、その発言は明らかな「虚偽」なので、相手はより良くない印象を持つと考えられる。そこで研究グループは今回、自己呈示に対する評価が自己呈示者の普段の実力により、年齢とともにどのように変化するのかを検討した。

能力評価・性格評価のいずれでも、自己呈示者の普段の実力による影響があると判明

対象としたのは、小学2年生(7~8歳)60人、5年生(10~11歳)61人、大人63人。まず、類似した2つの話で構成された4場面を用意。各場面の一方の話(お話1)では、主人公が何かをする(例:走る)のが普段得意で、ある日も同様に良い結果になった(例:速く走り、1位になりました)。もう一方の話(お話2)では、主人公が普段は苦手だが、ある日は思いがけず良い結果になった。その後は共通で、相手が「すごいね!」と褒めたところ、主人公は「得意だからね(得意なのよ)」という自己高揚的反応、もしくは「たまたまだよ(たまたまよ)」という自己卑下的反応をした。4場面のうち2場面では主人公が自己高揚的反応をし、残りの2場面では主人公が自己卑下的反応をした(各反応の2場面で、主人公と相手の性別を入れ替えた)。

対象者には、各場面で事実確認の質問をした後、2つの話それぞれについて「能力評価」(例:お話1で、すみれさんは、まさやくんのことをどれくらい走るのが得意だと思うでしょうか、それとも苦手だと思うでしょうか?)を、7段階(3:とても得意、2:まあまあ得意、1:少し得意、0:どちらでもない、-1:少し苦手、-2:まあまあ苦手、-3:とても苦手)で回答してもらった。さらに「性格評価」(例:お話1で、すみれさんは、まさやくんのことをどれくらい良い人だと思うでしょうか、それとも、悪い人だと思うでしょうか?)を、7段階(3:とても良い、2:まあまあ良い、1:少し良い、0:どちらでもない、-1:少し悪い、-2:まあまあ悪い、-3:とても悪い)で回答してもらった。その結果、能力評価と性格評価のいずれでも、自己呈示者の普段の実力による影響があることがわかった。

普段苦手でも自己高揚すると小2だけその人の能力を高く評価、大人は性格を低評価

普段得意という状況では、大人のみ、自己卑下の方が自己高揚よりも能力に対する評価が低くなった。このことは、普段得意で、いつも通り良くできたのに自己卑下する(謙遜する)と、大人に対して能力が低く見えてしまうというマイナスの効果があることを示唆する。これに対し、普段苦手という状況では、小学2年生のみ、自己高揚の方が自己卑下よりも能力に対する評価が高くなった。このことは、普段苦手なのに、思いがけずよくできて自己高揚することは、低年齢の子どもに対しては、自分の能力をより高く見せる効果を持つ効果があると言えそうだ。

普段苦手なことでの自己高揚は、年長の子や大人にあまり良い人でない印象を与える

普段得意という状況では、小学2年生は、全体的に小学5年生や大人より、主人公の性格を好意的に評価したものの、どの年齢でも自己高揚と自己卑下の間に差が見られなかった。このことは、普段は得意で、いつも通りよくできたのに自己卑下(謙遜)しても、自分をより良い人に見せる効果がないことを示唆している。これに対して、普段苦手という状況では、どの年齢層でも自己高揚が自己卑下よりも評価が低く、その差は小学2年生から5年生にかけて顕著に大きくなった。自己卑下では年齢による変化がなかったため、この差は自己高揚の評価の大きな低下によるものだったという。このことから、普段苦手なのに、思いがけずうまくいって自己高揚することは、とりわけ年長の子どもや大人に対し、自分があまり良い人でないように見えてしまうというマイナスの効果があることが判明した。

全体的には、2年生はどちらの評価でも、それ以降の年齢と比較してポジティブな評価だった。また、各年齢層のいずれの自己呈示でも、性格評価の平均値が0(中立)を下回らなかった。大人だけでなく子どもにおいても、例え、思いがけず上手くいって自己高揚するという虚偽であっても、悪い人だとまでは感じなかったと推察された。

子どもの他者と関わる力を高めていく指導をする上で重要な知見

何かが上手く行って他者から褒められることは、大人はもちろん、子どもにおいても日常的によくあることだ。このとき、普段の自分の実力がどの程度であるかをふまえて反応しないと、相手が抱く印象が大きく変わり得ること、そして、そのような変化は10歳頃までに顕著に見られることが、今回の研究により明らかになった。同研究結果は言い方を変えると、同じ相手の言葉でも2年生と5年生では違って知覚し、相手を評価するということを意味する。これは、小学校低学年頃までの子どもでは些細なことで喧嘩が起こったり、コミュニケーションの齟齬が生まれたりする一因につながると言えそうだ。

「大人がこのことを知っているか否かで子どもへの対応が異なることになるため、教育的にも重要な知見と考えられる」と、研究グループは述べている。

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