失明すると触覚が鋭敏になるメカニズムの詳細は不明だった
名古屋大学は4月22日、早期視覚喪失がもたらす触覚機能向上のメカニズムを明らかにしたと発表した。この研究は、同大大学院医学系研究科分子細胞学分野の客員研究者の橋本明香里氏(公立陶生病院 研修医:神戸大学医学部卒業)、和氣弘明教授の研究グループによるもの。研究成果は、「Cell Reports」オンラインに掲載されている。
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視覚情報は後頭部にある視覚野、触覚(体性感覚)は頭頂部にある体性感覚野、聴覚情報は側頭部にある聴覚野というように、情報はそれぞれの専門部位で主に情報処理される。しかし、失明などで視覚情報を失った場合、視覚野は代わりに他の種類の感覚情報、つまり聴覚や体性感覚情報を処理するようになり、その結果、聴覚や触覚が鋭敏になるという「異種感覚間可塑性」と呼ばれる現象が起こる。
この現象は1990年代に提唱され広く知られている。先天盲のヒトが点字を読む時は、それが触覚にも関わらず体性感覚野のみならず視覚野が活性化され、実際に見る感覚で字を読むことが示唆されている。同様のことがマウスでも知られており、視覚遮断後のマウスの視覚野はヒゲ刺激(マウスのヒゲは、ヒトの手にあたる重要な体性感覚情報)により活動を示すことが知られている。しかし、詳細なメカニズムは不明だった。
正常マウスも視覚遮断モデルマウスもヒゲ刺激で活動応答を示すことを確認
脳内の免疫細胞として知られるミクログリアは、常に突起を進展退縮させながら、神経細胞同士の接続部「シナプス」を監視、形成、除去することで神経回路の形成や精緻化、障害時の再編成に寄与する機能を持っていることが近年わかってきている。研究グループは今回、2光子生体イメージング、電子顕微鏡、電気生理学的手法、分子生物・遺伝学的手法などのアプローチ方法を用いて、視覚遮断後のマウスの高次視覚野がミクログリアの助けを受け、ヒゲ刺激による体性感覚情報に応答し、ヒゲ感覚識別能力が向上するメカニズムの解明を試みた。
まず、マウスのヒゲ情報処理を担う一次体性感覚野バレル領域からAL領域と呼ばれる高次視覚野の一部の領域に軸索投射が存在することを発見し、この皮質間の軸索投射がヒゲ刺激情報を高次視覚野に伝達する可能性を検証した。生きたマウスの神経活動をライブイメージングできる2光子顕微鏡下の生体カルシウムイメージングを用いて、この軸索の神経活動を観察した。なお、同研究では開眼して間もない生後2週間のタイミングで片目を遮断する処置を行ったマウスを視覚遮断モデルマウスとして使用した。軸索のカルシウムイメージングの結果、正常マウスでも視覚遮断モデルマウスでも同等にヒゲ刺激に強く応答する神経活動を示すことが明らかになった。
視覚遮断マウスでは、ヒゲ刺激で抑制されるはずの高次視覚野の神経活動が増加
次に、ヒゲ刺激時の高次視覚野の神経活動を生体カルシウムイメージングで観察した。正常のマウスでは紙やすりでヒゲを刺激した時に神経活動が自発活動(ヒゲ刺激を受けていない定常状態の神経活動)に比べて抑制される様子が観察された。
一方、視覚遮断を受けたマウスは、正常マウスに比べ、ヒゲ刺激時に高い神経活動応答を示した。さらに、PLX3397という薬剤を用いてミクログリアを除去すると、視覚遮断後の神経活動は抑制されることが判明。この結果により、ミクログリアによって高次視覚野の神経回路再編が誘導されることが想定された。
視覚遮断後、高次視覚野への情報伝達抑制システムをミクログリアが除去していた
上記結果より、ミクログリアが視覚遮断後の高次視覚野の神経回路再編に何らかの役割を担っていることが予想されたことから、研究グループは視覚遮断後のミクログリアのシナプスへの関与に着目した。視覚遮断から5日後のマウスの脳では、ミクログリアが抑制性シナプスを取り込んでおり、その結果、全体として抑制性シナプスが減少していることが観察された。さらに、ミクログリアが興奮性の錐体細胞の細胞体を包み込むように密着し、パルブアルブミン陽性神経細胞由来の抑制性シナプス入力を剥がしとっている様子も確認できたという。
電気生理学的な手法でも視覚遮断による抑制性入力の低下が証明された。バレル領域にチャネルロドプシンを強制発現させた高次視覚野での神経細胞の光刺激に対する応答を確認することにより、バレル領域からの投射を受ける高次視覚野の興奮性の錐体細胞と抑制性のパルブアルブミン陽性神経細胞を特定し、その二者間のシナプス結合の強度をpaired recordingにより確認した。すると、パルブアルブミン陽性神経細胞から錐体細胞へのシナプス入力が視覚遮断後に低下すること、そしてこの現象はミクログリアを除去すると観察されなくなることがわかった。
また、視覚遮断後のミクログリアではマトリックスメトロプロテアーゼ9の発現が上昇していることが確認された。これにより、ミクログリアが神経細胞体周囲の細胞外基質を溶かしてシナプス間隙に入り込んでいると考えられた。実際、マトリックスメトロプロテアーゼ9の阻害剤を投与すると高次視覚野の視覚野のヒゲ刺激に応答する神経活動が抑制されたという。
視覚遮断後にミクログリアが高次視覚野抑制性シナプス除去、代償的に体性感覚能力向上
さらに、視覚遮断後のヒゲ刺激に対する高次視覚野の神経応答が、体性感覚の機能向上に寄与するのか検証するため、目の粗いやすりと細かいやすりをランダムに提示し、その2種を正しく判別できたら報酬がもらえるような感覚訓練学習を用いた。
すると、正常マウスに比較して視覚遮断マウスでは早く学習が成立。一方、ムシモールという薬剤で高次視覚野の神経活動を局所的に抑制すると、視覚遮断マウスでの学習効率は正常マウスと同程度まで低下した。さらにミクログリア除去の処置を行った視覚遮断マウスでも同様に学習効率の低下を認めた。
これにより、視覚遮断後の高次視覚野でのミクログリアによる神経回路再編成は、残存する体性感覚の能力向上に寄与することが明らかになった。
脳の多種感覚情報統合・分別メカニズムの提唱やASDの治療法開発につながる可能性
今回の研究により、発達早期の視覚遮断が、ミクログリアによる高次視覚野の抑制性シナプス除去を引き起こし、体性感覚に対する神経活動応答、さらには代償的な体性感覚機能向上がもたらされることが解明された。近年、健常人においても視覚だけでなく聴覚や体性感覚刺激が高次視覚野の神経活動に影響を及ぼし得ることがわかってきており、高次視覚野は感覚統合の観点でも注目されている。同研究で、高次視覚野における体性感覚情報処理システムとミクログリアによる制御が解明されたことで、脳の多種感覚情報統合・分別にかかわる新たなメカニズムの提唱にもつながる可能性がある。
「さらに自閉スペクトラム症では抑制性シナプスの減少や感覚統合の障害が報告されており、このような精神神経疾患での新たな治療ターゲットにもなり得ることが示唆される」と、研究グループは述べている。
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