脳・脊髄の活動の関係性、既存技術では計測不可能だった
国立精神・神経医療研究センター(NCNP)は8月4日、健康な右利き成人の片手運動に関わる脳・脊髄伝導路の機能結合パターンを、新しく開発した脳・脊髄同時記録機能的MRI(cs-fMRI)技術を用いて世界で初めて捉えたことを発表した。この研究は、同センター脳病態統合イメージングセンター(IBIC)先進脳画像研究部の阿部十也部長、群馬大学医学部附属病院整形外科の高澤英嗣助教、同大学大学院医学系研究科整形外科学の筑田博隆教授、京都大学大学院医学研究科脳統合イメージング分野の花川隆教授(NCNP特任部長)らの研究グループによるもの。研究成果は、「Communications Biology」オンライン版に掲載されている。
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手指の運動指令は、大脳皮質の一次運動野から頸髄運動ニューロンへ脳・脊髄伝導路を介して伝達される。ヒトを含む霊長類は、巧みな手指運動の獲得とともに、一次運動野から脊髄運動ニューロンに直接に運動指令を届ける伝導路を発達させた。これは直接伝導路と呼ばれる。一方、一次運動野からの運動指令が、複数の経路を経て最終的に脊髄運動ニューロンに届く伝導路も存在する。これは間接伝導路と呼ばれ、ネコなどで発達しており、獲物を上肢(前脚)で捕捉する際に使われる。最近の研究では、霊長類であるマカクサルの手指運動に、直接伝導路だけでなく間接伝導路も関わることがわかってきた。
ヒトは他の霊長類と比べ利き手の側方化が顕著であり約90%が右利きだ。右利き健常人では、右運動で手と反対側の左大脳半球の一次運動野が主に活動するが、左手運動では手と反対側の一次運動野に加えて同側の一次運動野も活動を示すことが知られている。しかし、既存の計測技術では脳・脊髄の活動の関係性に迫ることはできず、脳・脊髄伝導路の関わりの左右差を調べることはできなかった。
研究グループは、利き手運動では一次運動野の運動指令を直に脊髄運動ニューロンに伝達する直接経路が動員され、非利き手運動では両側の一次運動野の運動指令が統合され脊髄運動ニューロンに伝達される間接経路が使われる可能性を考え、脳・脊髄の機能結合を調べることにした。
大脳と脊髄の神経活動の同時記録を可能にするcs-fMRI法を開発、健常者で妥当性を確認
研究グループはまず、従来の機能的磁気共鳴画像法を基盤に、大脳と脊髄の神経活動の同時記録を可能にするcs-fMRI法を独自に開発した。
右利き若年健常人13人が利き手(右手)、非利き手(左手)を用いて親指と小指の指先を合わせるタッピング課題を行う間の大脳および脊髄の活動をcs-fMRIで計測した。解析は、大脳の一次運動野並びに手指の筋肉を制御する運動神経細胞がある脊髄髄節(第7頸髄節-第1胸髄節[C7-Th1]レベル)の活動の相関に焦点を当てて行った。
運動野と脊髄活動のそれぞれを解析したところ、利き手、非利き手運動ともに手と反対側の運動野の活動が上昇していた。一方、運動と同側一次運動野の活動は、どちらの手の運動でも課題を行なっていない安静時よりもむしろ低下していた。この同側運動野の活動低下の大きさが非利き手より利き手運動で目立った。これらの結果はいずれも過去の研究と一致していた。確認のため、手と同側および反対側の半分に分割して脊髄活動を解析した。利き手、非利き手ともに、使用手と同側の脊髄活動の上昇が認められた。加えて非利き手運動では手と反対側の脊髄においても活動が観察された。これらの結果も過去の報告と一致しており、開発したcs-fMRI技術による脳脊髄神経活動の測定結果が妥当であることを確認した。
脊髄の活動は利き手によらず反対側運動野と正の相関、非利き手のみ同側運動野と負の相関
次に、手と同側の脊髄活動とその反対側あるいは同側運動野の神経活動間の相関(機能結合)を利き手、非利き手で比較した。利き手運動では反対側運動野の活動上昇と脊髄の活動上昇は連れ立っていたが、同側一次運動野と脊髄の神経活動の間には関係がなかった。非利き手運動では、利き手運動と同様に反対側運動野と脊髄の機能結合が観察された。ところが利き手運動と異なり、非利き手運動では同側運動野と脊髄の機能結合が存在した。意外なことに、同側運動野の活動上昇が大きいと脊髄の活動上昇はむしろ小さくなっていた。以上のことから、利き手運動、非利き手運動ともに反対側運動野と脊髄の活動に正の相関(促進性の機能結合)がある一方、非利き手運動に限って、同側運動野活動と脊髄活動の間に負の相関(抑制性の機能結合)があることがわかった。
頭蓋上から一次運動野を磁気刺激すると反対側の手指の筋肉が動く。この事実は反対側運動野と脊髄の活動の関係性と一致する。一方、両側の運動野を同時に磁気刺激すると、反対側の運動野のみを刺激した場合に比べて運動が小さくなることが報告されている。同側運動野の刺激を追加すると運動が小さくなる現象は、同側運動野の活動が同側脊髄の活動に抑制性に作用することを意味する。このような同側脳・脊髄間の抑制系伝導路はサルで確認されていることから、研究グループが観察した同側運動野と脊髄の活動間の逆相関(抑制性の機能結合)はこのような抑制系伝導路の働きを反映しているものと考えられた。
非利き手運動中の脊髄活動の調整に脳・脊髄間接伝導路が関与、計算モデルで
運動野と脊髄の神経活動相関の測定結果に基づき、計算モデルを用いて異なる脳・脊髄運動伝導路が利き手と非利き手運動にどのように関わるかを推定した。この解析の焦点は、脊髄活動が両側の運動野活動と関係のあった非利き手運動において、両側の運動野の活動を統合する間接伝導路が関わるのかを知ることだった。興味深いことに、計算モデルに間接伝導路の作用を組み込むと脳活動から脊髄活動を説明することが可能になった。一方、計算モデルから間接伝導路の作用を除いた場合には説明できなかった。この結果は、非利き手運動中の脊髄活動の調整に脳・脊髄間接伝導路が関与していることを意味する。
右利き健常人、利き手と非利き手の運動で直接伝導路と間接伝導路を使う程度が異なる
研究に参加した被験者は全員右利きだったが、日常生活に必要な細かい作業を全て右手で行う人からある程度左手も用いる両利き傾向の人までその程度には幅があった。つまり同じ右利きでも利き手の側方化の程度には個人差があることになる。そこで研究グループは、過去の動物研究を参考に、右利きの程度が強い人ほど利き手運動では反対側運動野を起始とする直接伝導路を、非利き手運動では両側の運動野活動を統合する間接伝導路を使うのではないかとの仮説を立てた。この仮説を検証するため、直接伝導路と間接伝導路の作用が個人間で異なる計算モデルを用いてそれぞれの伝導路の寄与を推定した。すると、右利き程度が強い人ほど、利き手運動では直接伝導路を、非利き手運動では間接伝導路を多く使っていることがわかった。
以上の結果から、右利き健常人において、利き手運動と非利き手運動では直接伝導路と間接伝導路を使う程度が異なることが示唆された。特に非利き手運動で観察できた、両側運動野の活動を統合する間接伝導路の役割はヒトの研究では過去に報告がなく、脳・脊髄伝導路の個人差と利き手の関係を示した研究は世界的にも例がない。これらの結果は、開発したcs-fMRI法が、既存の手法では解くことが不可能だったヒトの運動制御についての疑問の解明に役立つことを意味する。
cs-fMRI開発により運動野と脊髄の神経活動の相関を解析することが可能に
今回、研究グループは独自に開発したcs-fMRI技術を用いて脳・脊髄活動の相関を非侵襲的に計測し、ヒト手指運動の左右差に関係する脳・脊髄運動伝導路の関わりを解析した。ヒトを特徴づける行動特性の一つ、利き手と関係する脳脊髄神経回路の左右非対称性を捉えた世界で初めての研究だ。
cs-fMRI技術の開発により運動野と脊髄の神経活動の相関を解析することが可能になり、動物研究で知られていた複数の脳・脊髄運動伝導路(直接伝導路、間接伝導路)がヒトの手指運動にも関わる証拠が得られた。最近になって脳・脊髄運動伝導路の非対称性は胎児期から新生児期に確立するとの仮説が提出された。ヒトの発達過程で、脳脊髄の解剖構築に左右非対称性が最初に観察されるのは脊髄で、その後、大脳半球の構造に非対称性が現れる。この観点からも脊髄活動、さらに脳と脊髄の神経活動の相関を切り口に、ヒト利き手の神経基盤の解明を進めていくことは重要だ。今回の研究はそのような研究に資する研究手法を確立したものといえる。
「この手法は健常人の神経機構の解明に寄与するだけでなく脳や脊髄の損傷に伴う運動障害の病態の解明に寄与することが期待される。例えば、脳梗塞や脊髄損傷後の機能回復過程では、運動時の脳活動パターンが健常者と異なることはわかっているが、脳・脊髄運動伝導路の機能が健康な場合とどう違うのか調べられていない。開発した手法は、脳・脊髄損傷後の機能回復メカニズムの理解を深めるだけでなく、回復の状態を評価する指標として活用できるかもしれない。また、触覚や痛みなどヒト感覚統合の研究にも本手法の活用が期待される」と、研究グループは述べている。
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