脳梗塞の有効な治療法は特に発症早期に限定されている
東京都医学総合研究所は5月21日、脳梗塞モデルマウスを用いた実験により、脳梗塞をさらに悪化させる「脳内炎症」の新たなメカニズムを解明したと発表した。この研究は、同研究所脳卒中ルネサンスプロジェクトの中村幸太郎研修生(東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程1年)、七田崇プロジェクトリーダーらの研究グループによるもの。研究成果は、「PLOS Biology」に掲載されている。
画像はリリースより
脳梗塞を含む脳卒中は日本において死因の第3位であり、寝たきりの原因の第1位だ。近年、超高齢化社会や糖尿病・高脂血症を始めとした生活習慣病患者の増加も影響し、脳卒中の患者数は2017年には112万人にのぼった。脳梗塞は脳の血管が詰まることで発症し、脳組織が傷害され、手足のまひや言語障害などの後遺症が長きにわたり続く可能性がある疾患。これら後遺症は脳梗塞患者の生活の質を著しく低下させ、健康寿命を短縮する主原因となり得るため、世界中で治療法の開発が強く望まれてきた。しかし、既存の治療法である血栓溶解療法や血栓除去術は脳梗塞を発症してから数時間のみしか使えないなどの厳しい制約があり、患者の生活機能を改善できる治療はいまだ乏しい状況だ。
発症から長時間経っても効果的な治療法開発のため「脳内炎症」に着目
研究グループは、脳梗塞を発症してから長時間経っても効果がある治療法の開発を目指してきた。そこで、着目したのが脳梗塞の発症後に引き起こされる「脳内炎症」だ。脳梗塞発症後の脳内では、脳組織の傷害に伴って生体内の免疫系が活性化される。免疫系が活性化されると脳内で炎症が引き起こされ数日間持続するが、この炎症により脳組織はさらに傷害され脳梗塞をさらに悪化させる。つまり、脳内炎症が引き起こされるメカニズムを明らかにできれば、これを標的とした治療可能時間の長い新たな治療法の開発につながると考えられる。
人体は免疫系によって外界から侵入してきた細菌やウイルスなどの病原体から守られている。病原体が体内に侵入すると、細菌の成分やウイルス由来のタンパク質といった病原体の一部を、マクロファージ・好中球と呼ばれる免疫細胞がいち早く認識し、生体防御のため炎症が引き起こされる。しかし、脳は血液脳関門とよばれるバリアを介して外部からの異物の侵入を防いでいる極めて無菌的な臓器であり、脳梗塞では通常病原体は存在しない。
では、なぜ脳梗塞でも炎症が起こるのだろうか。近年、細胞死や組織の損傷など、細胞のダメージに伴って放出される、自己の組織由来のタンパク質、DNAやRNAなどの核酸によっても免疫系が活性化され、炎症が引き起こされることが明らかとなってきた。このような自己の組織由来の炎症(無菌的な炎症)を引き起こす因子は「ダメージ関連分子パターン(DAMPs)」と呼ばれる。脳梗塞において炎症を引き起こす因子に関するこれまでの解析は不十分であったため、研究グループは、そうした因子を同定できれば、画期的な治療標的となると考えた。
脳の神経細胞に存在するDJ-1タンパク質がDAMPsとして作用
研究グループは、これまでに脳梗塞モデルマウスを用いて脳梗塞における炎症惹起因子を探索し、ペルオキシレドキシンタンパク質を炎症惹起因子として同定した。しかし、ペルオキシレドキシンタンパク質だけでは脳内炎症を引き起こす作用が弱く、脳にはさらに重要な炎症惹起因子が存在すると考えられた。そこで、さらなる炎症を引き起こす因子を探索したところ、機能不全によりパーキンソン病の原因にもなるDJ-1タンパク質が、今回脳梗塞後の脳内炎症を引き起こす作用をもつことが明らかとなった。
DJ-1タンパク質は細菌から哺乳類まで幅広く生体内に存在し、通常は細胞内にあり、細胞に有害な過酸化水素を無毒化する酸化防止酵素として知られていた。また、これまで神経細胞内に存在するDJ-1タンパク質は酸化防止作用により、脳梗塞による強い酸化ダメージから細胞を保護する作用を持つと報告されてきた。
研究グループは、脳梗塞の発症から12~24時間後にDJ-1タンパク質が虚血壊死に陥った神経細胞から、細胞の外に放出されることを発見した。細胞外のDJ-1タンパク質は、脳梗塞後の脳内に浸潤してくるマクロファージ・好中球などの免疫細胞の細胞表面に発現しているトル様受容体(Toll like receptor,TLR)のうち、TLR2ならびにTLR4と直接結合することが判明。DJ-1タンパク質はTLR2ならびにTLR4を介して免疫細胞を活性化し、炎症性サイトカインの産生を促したことから、脳内炎症を引き起こす因子、すなわちDAMPsであることが世界で初めて示された。
既報のDAMPsには見られない「αG-αHヘリックス」構造を同定
DJ-1タンパク質の構造を解析したところ、αG-αHヘリックスと呼ばれるアミノ酸配列が、免疫細胞を活性化して炎症を引き起こすために必要な配列として同定された。この配列はこれまで報告されたDAMPsには見られず、DJ-1タンパク質に特異的な配列であった。
脳梗塞モデルマウスにDJ-1中和抗体投与で症状が改善
DJ-1タンパク質の遺伝子を欠損したマウスを用いて脳梗塞モデルを作製したところ、DJ-1タンパク質が存在しないと脳梗塞後の脳内炎症が著しく抑制されたことから、DJ-1タンパク質は脳内炎症に重要な因子であることが示された。そこでDJ-1タンパク質の作用を中和する抗体を作製し、脳梗塞モデルマウスに投与したところ、脳梗塞後の脳組織における炎症性サイトカインの産生が抑制され、さらに脳梗塞体積の減少や神経症状の顕著な改善が認められた。
今回の研究によって、脳梗塞における新しい脳内炎症メカニズムが明らかとなった。DJ-1タンパク質はヒトの脳内においても発現していることから、DJ-1タンパク質を標的として、脳内炎症を抑制しうる新たな治療法の開発につながる可能性があり、今後の脳梗塞治療への応用が期待される。
さらにがんや、パーキンソン病などの神経変性疾患患者において、細胞内のDJ-1タンパク質が増加することが報告されている。これらの疾患でも炎症が観察されることから、研究グループは、「細胞外に放出されたDJ-1タンパク質が、がんや神経変性疾患にも影響を与えている可能性があり、過剰な炎症や組織傷害を伴う疾患に対する新たな治療標的にもなり得ることが期待される」と、述べている。
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