正常細胞のがん化という副作用なしでEMTを抑制する新規治療薬が望まれていた
東京医科歯科大学は11月20日、β2アドレナリン受容体作動薬であるイソクスプリンが口腔がん細胞の悪性化と腫瘍形成を抑制することを見出したと発表した。これは、同大学院医歯学総合研究科硬組織病態生化学分野の渡部徹郎教授、井上カタジナアンナ助教、榊谷振太郎大学院生(顎口腔外科学分野)らと、同顎口腔外科分野の原田浩之教授、生体材料工学研究所薬化学分野の影近弘之教授との共同研究によるもの。研究成果は「Cancer Science」オンライン版に掲載されている。
画像はリリースより
口腔がんでは早期から頸部リンパ節に転移して急速に進行する悪性度の高いものがあり、遠隔臓器への転移が主な死亡の原因となっている。口腔がんの9割を占める口腔扁平上皮がん細胞はトランスフォーミング増殖因子β(transforming growth factor-β:TGF-β)シグナルにより上皮間葉移行(EMT)を起こし、転移を起こす。EMTは上皮系形質を有するがん細胞がその細胞間結合性を失い、高い運動能などの間葉系形質を獲得するという、がんの悪性化を誘導するプロセスで、近年では完全に間葉系形質を獲得する以前の部分的なEMT(partial EMT)の状態が腫瘍形成能や薬剤耐性を誘導するということが報告されている。TGF-βシグナルの阻害作用がある低分子化合物は、がん治療効果を有することが期待されている一方、正常細胞の増殖を抑制する作用を持つTGF-βシグナルを阻害することは正常細胞をがん化させるリスクを伴っている。このことから、TGF-βシグナルを阻害せずに、EMTだけを抑制する新規治療薬の開発が望まれていた。
β2アドレナリン受容体作動薬のイソクスプリンにEMT抑制作用
ヒト口腔扁平上皮がん細胞株SASでは、TGF-βの添加によりEMTが起こる一方で、TGF-β阻害剤により間葉系細胞の性質が低下し、細胞の運動能が低下するという間葉上皮移行(MET)が起こることが報告されている。研究グループはこのSAS口腔がん細胞株の特性を利用し、生体材料工学研究所が有するライブラリーを用いてMETを誘導する低分子化合物をスクリーニングした結果、β2アドレナリン受容体作動薬であるイソクスプリン(イソクスプリン塩酸塩)を同定した。
イソクスプリンは末梢血管拡張作用や子宮鎮痙作用を示す薬剤として、一般に用いられている。SAS口腔がん細胞株を用いた解析により、イソクスプリンがTGF-β阻害剤と同様にEMTによって上昇する細胞運動能を低下させることが明らかになった。また、このEMT抑制作用がTGF-βシグナルを阻害することによるものではないことも示された。イソクスプリンはβ2アドレナリン受容体に結合することが知られているが、イソクスプリンのEMT抑制作用がβ2アドレナリン受容体シグナルを介することが、薬理学的そして遺伝学的な解析を用いて明らかになった。
モデルマウスでイソクスプリン投与により腫瘍形成抑制
さらに、個体レベルでの腫瘍形成に対するイソクスプリンの作用を検討するため、SAS口腔扁平上皮がん細胞株を免疫不全マウスの皮下に移植して腫瘍が形成された後(移植後19日目)にイソクスプリンの投与を開始し、腫瘍体積を計測した。その結果、イソクスプリンを投与したマウスにおける腫瘍形成は、コントロール群と比較して顕著に低下した。
近年、舌がんを含む口腔がんによる死亡者は増加しており、有効な治療法の開発は急務とされている。口腔がんによる主要な死因である転移を抑制できる治療法にはまだ有効なものがなく、転移の原因となるEMTを標的とした治療薬の開発が望まれていた。「これまでβ2アドレナリン受容体シグナルを活性化することで口腔扁平上皮がん細胞のEMTを抑制するという報告はなく、今回の研究成果はがん転移をはじめとしたさまざまな疾患の要因となるEMTの分子機序解明に寄与するとともに、EMTを標的とした場合の正常組織のがん化という副作用のリスクが少ない新たながん治療法の開発へ応用されることが期待される」と、研究グループは述べている。
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