発生の仕組み「体節時計」をモデルにして解析
理化学研究所(理研)は9月18日、ヒトの発生時間がマウスよりも遅いのは、遺伝子発現やタンパク質分解などの速度が、ヒトではマウスに比べて遅いことに起因することを発見したと発表した。この研究は、理研生命機能科学研究センター再構成生物学研究ユニットの戎家美紀ユニットリーダー(研究当時、現欧州分子生物学研究所(EMBL) Barcelonaグループリーダー)、松田充弘研究員(研究当時、現EMBL Barcelona研究員)、ポンペウ・ファブラ大学のジョルディ・ガルシア教授、京都大学ウイルス・再生医科学研究所の影山龍一郎教授、京都大学iPS細胞研究所のジャンタシュ・アレヴ助教(研究当時、現京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(ASHBi)准教授)、戸口田淳也教授、池谷真准教授らの国際共同研究グループによるもの。研究成果は、「Science」にオンライン掲載されている。
画像はリリースより
受精卵から体が作られる発生過程はヒトとマウスで非常によく似ており、器官ができる順番やその形成メカニズムはほぼ共通している。しかし、妊娠期間はヒトが約9か月、マウスが約20日とヒトのほうが長く、寿命や心臓の拍動リズムもヒトのほうが長いことが知られている。これらの種に特異的な時間スケールは、どのように決まっているのだろうか。研究グループは、発生の仕組みの一つである「体節時計」をモデルとして、ヒトとマウスの時間スケールの違いがどのように生じるかを明らかにしようと考えた。
振動周期がマウス2時間ヒト5時間である仕組みを、確立した実験系で比較
体節は、背骨に代表される体幹部の繰り返し構造のもととなる組織で、体の中心軸の左右に規則的に形成される細胞の塊。体節の数は発生に伴って増えていき、板状の細胞層(未分節中胚葉)が頭側から順番にくびれていくことで、左右1対の体節が体の後方に次々と付加されていく。体節が1対増えるのにかかる時間は種によって異なり、ゼブラフィッシュ(魚類)は約30分、ニワトリ(鳥類)は約90分、マウスとヒト(哺乳類)ではそれぞれ約2時間と約5時間。体節時計は、この体節形成に必須の役割を果たす原理で、その実態は遺伝子発現のオンとオフが周期的に切り替わる「振動現象」だ。この時計の振動周期は体節形成の周期と一致し、マウスでは約2時間、ヒトでは約5時間であることが知られている。
体節時計の中心となるメカニズムは、転写因子HES7をコードする「HES7遺伝子」の自己抑制遺伝子回路であると考えられている。これは、HES7遺伝子の転写が、自身の遺伝子産物であるHES7タンパク質によって抑制されるという観察から導き出されたモデルだ。すなわち、HES7遺伝子の転写が始まると、細胞内のHES7タンパク質が増加して自身の転写制御領域であるプロモーターに結合し、その転写を抑制する。しばらくすると、HES7タンパク質が次第に減少し、HES7遺伝子の転写抑制が解除され、HES7タンパク質量が再び増加するという現象が繰り返されることで、時間的なリズムが生じると説明される。マウスとヒトは、同じHES7遺伝子により体節時計を動かしていることがわかっている。では、どうして周期に違いがあるのだろうか。
マウスとヒトの発生過程で見られる体節形成を、実際の胚で直接観察し、比較することは極めて困難だ。研究グループは先行研究において、マウスとヒトの多能性幹細胞を用いて、体節時計を持つ組織を培養皿上で再構成する実験系を確立した。今回の研究ではこの系を用いて、マウスとヒトの体節時計を比較した。
周期の違いはHES7遺伝子発現までの時間とタンパク質分解速度の違いによる
最初に、「マウスとヒトのHES7遺伝子領域の配列の違いが、周期の長さの違いを生む」という仮説を立てた。生物種間で異なるさまざまな特徴は、共通祖先種のゲノム配列に進化の過程で変異が入るために生じると考えられている。そこで体節時計において、中心遺伝子であるHES7遺伝子配列の種間差によって、マウスとヒトの時間の違いが生じたのかを検証した。
実際に行った実験は、マウスとヒトのHES7遺伝子を交換するというもの。まず、ヒトHES7遺伝子を持ったマウス細胞と、マウスのHes7遺伝子を持ったヒト細胞を作製し、体節時計の時間を比べた。その結果、ヒトHES7遺伝子を持つマウス細胞は約2時間の周期を、マウスHes7遺伝子を持つヒト細胞は約5時間の周期を示した。また、Hes7遺伝子をヒトHES7遺伝子に交換した遺伝子改変マウス胚の体節形成を観察したところ、その周期はやはり正常マウスに近い長さを示した。これらのことから、体節時計の周期の違いはHES7遺伝子自体の違いではなく、反応の器である細胞の違いによることがわかった。
体節時計の中心原理は、HES7遺伝子の自己抑制遺伝子回路だ。この遺伝子回路は、合成(発現)過程、抑制過程、分解過程という、3つの部分に分割することができる。どの過程がマウス細胞とヒト細胞で異なるのかを明らかにするために、それぞれの反応過程を測定し比較したところ、ヒトでは合成過程に要する時間が長く、HES7タンパク質の分解速度も遅いと判明。これらの結果から、マウスとヒトでHES7遺伝子自体の機能は同じだが、細胞環境の違いによって、合成や分解といったHES7タンパク質の振る舞いに要する時間が違ってくることが示された。
時間スケールの種間差が生じる仕組みは、体節時計に限定されていなかった
最後に、今回の発見が体節時計に限定的なものであるのか、もしくは他の現象にも適用可能なのかを調べた。今回の発見は、「マウスとヒトでは、HES7遺伝子の発現に要する時間とHES7タンパク質の分解速度が異なることで、体節時計の時間スケールが異なってくる」というものだ。そこで、発生過程に関わるさまざまな遺伝子の発現に要する時間とタンパク質分解速度を調べたところ、HES7以外の遺伝子でもマウスとヒト細胞で違いが見られた。また、体節時計を持つ細胞とは異なる種類の細胞である神経系の細胞を多能性幹細胞から誘導し、種に特異的な時間の違いが見られるのか調べたところ、そこでもやはりヒトでは合成に要する時間が長く、タンパク質分解が遅くなっていた。
以上の結果から、今回明らかになった時間スケールの種間差を生み出すメカニズムは、体節時計に限定されたものでなく、マウスとヒトで見られる生命現象の時間スケールの違いを広く説明する可能性があることが示された。
体のサイズの違いが生じる仕組みの理解にもつながると期待
今回の研究では、ヒトの時間がマウス時間よりも遅いのは、細胞環境の違いによって遺伝子発現に要する時間が長く、タンパク質分解が遅いためであることがわかった。しかし、細胞環境のどの違いがこうした差を生み出すのかは全くわかっていない。また、今回は時間に注目したが、ヒトとマウスを比べたときの著しい違いとして、体のサイズがある。生物種を広く見渡したとき、時間と体のサイズには強い相関があることが知られており、今回の発見は、種間のサイズの違いがどのように生じるかという問いの理解にもつながると期待できる。研究グループは、「時間や体のサイズといった多細胞生物の多様性を生み出す細胞環境の違いの解明が、次の課題となる」と、述べている。
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・理化学研究所 研究成果