統合失調症の発症に、脳梁における脂質代謝は影響する?
理化学研究所(理研)は9月14日、統合失調症患者の脳の白質において、脂質代謝に関連する遺伝子ネットワークの乱れを発見したと発表した。この研究は、理研脳神経科学研究センター分子精神遺伝研究チームの島本(光山)知英研究員、吉川武男チームリーダーらの国際共同研究グループによるもの。研究成果は、「Cerebral CORTEX」のオンライン版に掲載されている。
画像はリリースより
幻覚や妄想、意欲の低下や認知機能障害などの症状を示す統合失調症は、発症頻度が一般人口の約1%であり、決して稀有な精神疾患ではない。現在の治療法では、治療を行っても改善が見られない、いわゆる「治療抵抗性」の患者が全体の3割に上るという報告があり、さらに薬の副作用に悩まされる患者も多くいる。こうした現状にもかかわらず、新しい治療薬の開発がなかなか進まない理由として、統合失調症の詳しい発症・病態メカニズムがよくわかっていないことが挙げられる。
これまでの統合失調症研究から、脂質(特に脂肪酸)が何らかの形で疾患の発症に影響を与えているという説が注目されてきた。近年、核磁気共鳴画像(MRI)などの画像解析技術の進歩により、脳の中でも特に脂質に富む領域である白質において、容積の減少や神経線維の走行の異常、ミエリンの構造異常が数多く報告されている。しかし、その原因となる分子メカニズムはよくわかっておらず、白質と脂質との関係性についてもあまり調べられていなかった。そこで研究グループは、白質の中でも左右の大脳半球をつなぐ大きな構造をしている脳梁における脂質代謝を、生化学・遺伝学の観点から包括的に調べた。
一部の患者で脳梁の脂質組成の変化を発見
白質は、脳の中でも特に脂質に富む領域だ。これまでに国際共同研究グループは、脳梁(代表的な白質領域)のスフィンゴ脂質の解析を行い、特定の脂質の変動について発表した。脂質には非常に多くの種類が存在し、過去の統合失調症の臨床研究では、赤血球膜や血漿などにおける脂肪酸や脂肪酸を構造中に持つ脂質の含量が変化していることが、数多く報告されてきた。
そこで今回、統合失調症患者で観察される白質の異常と脂肪酸を構造中に持つ脂質分子の関係性を明らかにするため、質量分析装置を用いて、統合失調症患者死後脳を解析。代表的な白質である脳梁における100種以上の脂質分子の含量を定量的に測定した。その結果、一部の統合失調症患者では、脳梁の脂質組成(特定の脂肪酸側鎖を持つ脂質の含量パターン)が変化していた。
ミクログリアが質的量的変化、オリゴデンドロサイトが質的変化
次に、統合失調症の脳梁で脂質組成が変化する原因を調べるために、脂質代謝に関与するタンパク質をコードする遺伝子(脂質代謝関連遺伝子)の発現量を調べた。解析には、差を検出しやすくするため脂質解析に用いたサンプルを含む拡大サンプルを用いた。その結果、統合失調症群では、発症していない人(対照群)と比較し、10種の脂質代謝関連遺伝子の発現が有意に低下、もしくは低下傾向を示した。さらに、これらの脂質代謝関連遺伝子の発現調節をしている可能性の高い転写因子について、その遺伝子発現量を調べたところ、7種の転写因子の遺伝子発現量が統合失調症群で変動していた。興味深いことに、これらの遺伝子の多くが、転写因子であるNFATC2(Nuclear Factor of Activated T Cells 2)を起点とする遺伝子ネットワークの下流にあり、相互に関連していることがわかった。
脳は、神経細胞とグリア細胞(オリゴデンドロサイト、アストロサイト、ミクログリアなど)で構成されている。統合失調症群の脳梁で見られた脂質組成や遺伝子発現の変化と細胞種との関係を明らかにするため、各細胞のマーカーとなる遺伝子の発現を解析。その結果、対照群と比較し、統合失調症群では、神経細胞、オリゴデンドロサイト、アストロサイトのマーカー遺伝子の発現量には差がなかったが、ミクログリアのマーカー遺伝子の発現量が有意に低下していた。そこで、ミクログリアの細胞密度調節に関与していることが知られている分子の一つであるCSF1Rをコードする遺伝子の発現について調べたところ、統合失調症群でCSF1R遺伝子の発現低下が見られた。CSF1Rは、今回同定したNFATC2を起点とした遺伝子ネットワーク上の遺伝子と相互作用することが報告されている。
さらに、統合失調症群で変動していた10種の脂質代謝関連遺伝子および転写因子と各細胞マーカー遺伝子との発現量の相関関係を調べたところ、複数の遺伝子がミクログリアやオリゴデンドロサイトのマーカー遺伝子と正の相関を示した。これらの結果から、ミクログリアの質的量的変化とオリゴデンドロサイトの質的変化が、統合失調症患者の脳梁で観察される脂質組成変動に関与している可能性が示された。
NFATC2起点の遺伝子ネットワークとミクログリアの異常が脂質組成変化に関連
白質(脳梁)に豊富に存在するミエリンは、オリゴデンドロサイトによって形成されている。ミクログリアは、サイトカインなどの情報伝達の役割を担う分子を介して、オリゴデンドロサイトと相互作用し、ミエリンの形成や維持などに関与している。今回、統合失調症患者の脳梁で発現低下していたNFATC2やCSF1Rが、ミクログリアのサイトカインの分泌に関与することから、研究グループは、統合失調症患者の脳梁ではミクログリアとオリゴデンドロサイト間の情報伝達に異常があるのではないかと考えた。そこで複数のサイトカインについて、それらをコードする遺伝子の発現量を調べたところ、2種類のサイトカインが統合失調症群で低下していることが判明。さらにその発現量はNFATC2遺伝子やCSF1R遺伝子の発現と正に相関していた。これらの結果から、統合失調症患者の脳梁では、NFATC2を起点とした遺伝子ネットワーク異常が、ミクログリア-オリゴデンドロサイト間の情報伝達異常に関与している可能性が判明した。この結果は、2019年に理研の吉川武男チームリーダーらが提案した、統合失調症では炎症反応(サイトカインの上昇)より抗炎症反応の方が本質的であることを支持するものだ。
以上の結果から、転写因子NFATC2を起点した遺伝子ネットワークの異常とミクログリアの量的質的変化に関連した脂質組成異常が、統合失調症の病態と密接に関係している可能性が高いことが示唆された。
転写因子をターゲットとした新治療法開発に期待
今回の研究により、一部の統合失調症の脳梁(白質)で脂質組成の変動が明らかになり、その原因としてNFATC2を起点とする遺伝子ネットワークやミクログリアの異常が関与している可能性が高いことがわかった。この発見は、統合失調症の白質異常の根底にある遺伝子・分子・細胞の多層的なつながりを理解するための重要な手掛かりになるという。
NFATC2を起点とした遺伝子ネットワークとミクログリアの異常が関連する脂質組成変化が、白質の構造や機能、統合失調症の症状にどのような影響を与えるのかについては、今後Nfatc2遺伝子を破壊したマウスやミクログリアの細胞数を減少させたマウスなどを用いて、より詳細に解析する必要がある。
今回の研究結果について、研究グループは、「一部の統合失調症患者で観察される白質病変の原因となるメカニズムの理解に役立つもので、転写因子をターゲットとした新たな治療抵抗性のある治療法開発の切り口になると期待できる」と、述べている。
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・理化学研究所 研究成果